人との関わりが苦手だった妻を支えるため、長年暮らしていた京都を離れ、新しい環境を求めて辿り着いたのが本山町でした。
8年越しに夢だったおこんにゃく作りを始めた吹上さん。
現在は、地域の伝統を受け継ぎながら、自分たちらしい暮らしをゆっくり少しずつ築いています。

吹上 仁恵(ふきあげ よしえ)さん・豪(たけし)さん / 2015年 本山町移住
ほどよい人との距離感を求めて、本山町へ
―――本山町に移住したきっかけを教えてください。
仁恵さん
そもそも人がちょっと苦手というか、昔から人とうまく馴染むことができなくて。何か常に不調を抱えてずっと生きているみたいな感じでした。それが限界を越えてしまって、どこか別のところに移りたい、と夫に相談しました。
豪さん
京都では自分の実家で両親と一緒に住んでましたが、今思うとその環境がかなり妻を追い詰めている状態だったなと。当時は、その原因がはっきりとは分からないまま、時間が過ぎ、いよいよ妻の方から打ち明けてくれて。ちょっと生活スタイル自体を変えないとどうにもならんなと思って、大阪の移住相談会に行きました。
仁恵さん
すごいスピードで動いてくれました。
豪さん
自分は地元が好きやったんですけど、それを上回るしんどさに見えたんで、思い切ってという感じですね。
――本山町を選んだ理由は?
豪さん
田舎暮らしネットワークの方のお話を聞いて、嶺北4町村、全部一通り見せてもらいました。いろんな物件を見たなかで、今住んでいる家が自分たちにいいなと。町の雰囲気含め、本山町が自分たちに一番合っていると思ったんです。
仁恵さん
私は水の綺麗さ。汗見川にひと目惚れ。京都の清流と思っていた川とは、レベルが違っていて、沖縄で珊瑚の海を見たような感動がありました。あと近所が何もないし、こっちの人もいい距離感。見守ってもくれるし、困った時は助けてもくれるし、ちょうどいいっていう感じです。
私、3人目の子どもが産まれてからほんまに動けんようになって。病院に行ったら「発達障害、ASDです」と言われ、やっとそれまでの不調の原因がわかったんです。合うお薬に出会ったおかげで少しずつ回復して。そんな状態でも近所の人たちは変わらず優しくて、いい感じでしたよ。
何もできなくても、助けてくれるというか、教えてくれる。例えばお祭りごととか、何日の何時とか、こうしてたらいいとか、全部教えてくれるから、すごく助かる。その距離感も強制じゃないし、見放されているわけでもなくて、自分が参加できるかたちに持って行ってもらえるっていうのが、本当にちょうどいいんです。
8年越しの夢、おこんにゃく作りとの出会いさ
―――おこんにゃく作りを始めたきっかけは?
仁恵さん
公民館の裏におこんにゃくの作業所があるんです。
引っ越してすぐ、湯気を上げながら作業しているのを見かけて、すごく興味がありました。
この地域は元々おこんにゃくの有名な産地だったみたいで、昔は何百トンと出荷していたそうなんです。
ある時期になると、家のまわりのあちこちから、存在感のある芽がばーっと生えてくるんですよ。最初は見たことのない植物すぎて「これ何!?」ってびっくりして。でも、それがこんにゃく芋やったんです。
こんにゃく芋が自生してるし、実際に作るのも楽しそうやし、いいなとは思っていました。ただ、その頃は子どももまだ小さくて手がかかるし、人とのコミュニケーションもあんまり得意じゃないし。
やりたいな、でも、どうしようかな。
そんなふうに思いながら、気づけば8年ぐらい経っていました。
―――実際に始められたのは?
仁恵さん
ここには、おこんにゃくの神様と呼ばれている90歳くらいのおばあちゃんがいるんですけど、3年くらい前、その方が腰を怪我した時に、やってみる?って、私に声かけてくれて、そこからおこんにゃく作りを教えてもらうようになりました。修行みたいな感じで1年付いて習って、そのあと独立して今2年目ぐらいですね。
豪さん
こっちとしてもありがたかったです。いつかはやりたいと言ってたんで。
仁恵さん
自宅でやると、ゆがいてる時に家事ができるし、一人の方が楽やから。できんところは夫にも手伝ってもらいながら、自分のペースでちょうどいい感じにできてます。
夫婦で支え合う、おこんにゃく作りの日々
―――今はどんな風に仕事をされているんですか?
仁恵さん
自宅でおこんにゃくを作って、さくら市、南国市の直売所、高知市のとさのさとに置いてもらっています。あとこれからネット販売も始める予定です。
豪さん
自分は作る方ではなくて、配送とか、作業場所の整備とか、お金の管理とか、裏方ですね。
仁恵さん
配送とか車の運転とか苦手なんで本当に助かります。
豪さん
近くで見てて、楽しんで仕事をできるようになったなとすごく思います。家計のためにとパートに行ってくれてた時は、だいぶしんどそうでしたけど、最近はそんなこともないし、いい仕事を見つけたなと。もともと京都で陶芸とか、ものを作る人だったんで、それも合ってたんだなと思いますね。
―――発達障害のことは、今はどう向き合っていますか?
仁恵さん
診断がついて、お薬が合って、ほんまに回復して。夫の発達障害についての理解が深まったことが、私の心を本当に軽くしてくれましたね。昔やったらこういうインタビューも絶対に喋れんみたいな感じでしたから。今は夫と一緒に発達障害について、さらに理解を深めながら向き合っています。
発達障害って年齢に関係なく、いろんな場面で課題や悩みにぶつかるものだと思うんです。
だから、自分たちだけじゃなくて、発達障害に関わっている方や当事者の方が、少しでも安心して地域で暮らしていけるようにと思って、夫婦で“さんさんサークル”という任意団体を立ち上げました。
月に一度、本山町の「やまぼうし」という場所で、当事者の方やご家族、支援者の方が集まって、ゆっくり語り合う場をつくっています。町の方とも意見を交わしながら、「誰もが生きやすい本山町ってどんな町?」と、一緒に考える場になればいいなと思っています。
地域の中で横につながっていく関係を大切にしながら、この活動を続けていきたいですね。
この地域のおこんにゃく文化を、美しく繋いでいく
―――今後の展望を聞かせてください
仁恵さん
高齢化が進んでいて、おこんにゃく作りもあと5年、10年続くかどうか。
今作っておられる方は80歳、90歳の方々なので、10年後はどうなってるかわからない。でも、近所のおばあちゃんは取材が来るたびに「後継者です。」って、私を横に置いてくれるんです。やっぱりおこんにゃく作りをすごく愛してはるんから、なくなるのが寂しいんやと思うんですよ。
だから今、自分たちでもこんにゃく芋の栽培をはじめています。
芋を増やしてくれる農家さんも見つけたいし、若い人にもやってほしい。おこんにゃくって、日本の伝統食のひとつやと思うんです。受け継がれていかないと、なくなってしまうものやから、そういうのもちゃんと残していきたい。
これからネット販売していこうと思っているのは、昔ながらの製法のおこんにゃく。広葉樹の灰から作ったあく汁で固めていて、その木も地元産なんですよ。木から伐採して薪にして、その火でおこんにゃくを炊く。出た灰はおこんにゃくを固める材料になる。100%天然素材で、捨てるところがない。そういう循環が、すごく美しいなと思うんです。
美しく作りたいし、美しく生きたい。
発達障害もそうなんですけど、はみ出す子をつくらないで、みんなの中に入れて、みんなで見守るかたちも美しい。伝統を“絶やさない”ことも美しい。だから、おこんにゃくも、地域も、教育も、全部つながっていて、循環していると思っています。
こんな私でもおこんにゃく作りやったらできる。
それが地域とのつながりにもなるし、おじいちゃんおばあちゃんとも話せる。これをずっとつなげていきたいんです。おこんにゃく作りを通して、地域や人をつなげられる環境をつくりたい。発展していけば、発達障害のある人も働ける場にもつながるかもしれない。
ほんまに、全部をつなげていけたらなと思っています。





