東京での暮らしを経て「自分は本当はどういうことがしたいのか」と立ち止まった荒木さん。
導かれるように辿り着いた土佐町で、地域に支えられながら、自分の「好き」や「できること」を少しずつ仕事にしています。
無理をせず、自分のペースで暮らしを組み立てていく日々が、ここにはありました。

荒木 映里奈(あらき えりな)さん / 2023年11月 土佐町移住
導かれるように辿り着いた土佐町
―――土佐町に移住しようと思ったきっかけは何だったんですか?
大学卒業して、その後就職し、東京では10年くらい暮らしていました。移住のきっかけのひとつは、コロナ禍に直面したことです。
会社ではテレワークになり、その頃懸けていた“古武道”の活動にも影響が出て、対面で人と関わることの大切さを、身に沁みて感じる時期がありました。ちょうど古武道のことでちょっとした出来事もあって「自分は本当はどういうことがしたいんだろう」と深く考えたんです。
そのとき浮かんできたのが、
“白拍子舞を披露する活動をしていきたい”
“立派な日本家屋のお家で過ごしたい”という2つの思いでした。
それでもう転職しようと思って、求人を探していたときに、土佐町・大屋敷(町管理の施設)写真が出てきて。同時に九州のとある観光協会や、巫女さんの職も検討していたんですが、思い描いていた理想に一番ぴったりだったのが、この写真でした。
―――なんて検索したらここの写真が出てきたんですが?
検索というより、私が使っていた求人サイトが「日本仕事百貨」というサイトで。
とにかく都会が嫌だったから、田舎暮らしにもとても憧れていたんです。一般のサイトだと年収や勤務地で絞ると思うんですが、そのサイトは働き方や暮らし方そのものに焦点を当てた求人が多く、チェックしていたら土佐町・大屋敷の写真が出てきたという感じですね。
実際試験まで高知には来たことなかったんですが、初めてこの土地に来た時、自分の肌にあっている、みたいな感覚があって。雰囲気がすごく好きで「わたし、ここにする!」みたいな気持ちになったのを覚えています。
自分ができることが仕事に
―――いま土佐町ではどんな活動をしているんですか?
今は土佐町の地域おこし協力隊として、土佐町が運営するテレワーク施設「大屋敷」の管理をしています。
利用者の対応をしたり、イベントを企画したり。自由度が高くて、さまざまなことに挑戦させてもらっています。おかげさまで、昨年はいくつも試してみることができました。その経験のおかげで、これだったらいけそう、と思えるものがかたまってきて。
―――それはどういったものですか?
ダンス教室と、そろばん教室です。
ダンス教室は元々、嶺北高校の寮に併設された公設塾「燈心嶺」でわたしがアルバイトしていたときに、勉強科目だけでなく、ダンスを寮で教える提案をしてみたところ、許可をもらい高校生が何人か集まってくれました。最初は高校生相手だったのですが、もっと幅広い人たちに来てもらいたかったので、自分で呼びかけて別の場所で行うようになりました。始めて1年ほど経ちますが、今では小学生までがあわせて20人くらい、中高生が7人くらい通ってくれています。
当初は1クラス1人しか来ない日もありましたが、地域のイベントに呼んでもらうことも多くなって、それを見ていたその子の友達たちがわたしも!って増えていきました。みんな、音に乗って身体を動かしたり、かわいい衣装を着たりを楽しんでいます。
そろばんは大屋敷に仕事をしに来た人とその話題が出たところから始まりました。その方の娘さんがオンラインでそろばんを教わっていると聞いて「わたし出来るから教えられますよ?」ってな感じで始まりました。
最初は小規模で行っていましたが、結構需要があって、それで本格的に教室になっていきましたね。今は週に2回行っていて、それぞれ10人くらい子どもたちが来てくれています。一から教えていますが、なかには検定試験を受けられる子も出てきて。その子曰く「先生がすごいんじゃなくてぼくがすごいんですよ」なんて言われたり(笑)こんな感じで、生徒とフラットに関わりながら楽しくやっています。
ダンスにしても、そろばんにしても、子どもたちが夢中になれる機会を提供していることは、すごくやりがいを感じています。
自分の「好き」と向き合い続けて
―――今も自身が続けていることについて教えてください。
大学3年生からダンスを始めて、踊ること自体ものすごく好きだったんですけど、ふと「わたし、動きは出来ているけど美しく見えてない」って思うことがあったんです。それで古武道や舞を始めて、身体の使い方や所作の美しさに惹かれていきました。舞や踊りを活動にしたい、という思いがあったので、その延長みたいな感じですね。
今も週に1回、徳島に韓国舞踊を習いにいったり、日本舞踊を学んだり、いろんなものを取り入れています。舞を通じて、「美しいと思う身体」と「自分が動かしている身体」が一致するようになってきて、自分でも変わったなと思えるくらいなので、すごく感謝しています。
移住のきっかけのひとつでもあった“白拍子舞”にもそれは生かされていて。今は高知県のインバウンドや観光ツアーのプログラムに入れてもらえることになったんです。県の担当の方がモニターで来てくれたり、最近でいうとエストニアのツアーの方が来られて、見てもらったりもしていますね。
土佐町でほどけていった思い込み
―――土佐町に来る前と今とで何か変化はありますか?
超絶変化しています。
ここに来る前は、思い込みがもっと強かったし、周りの人はみんな敵、怖い、みたいな感覚がありました。これって、完全に都会の影響ですよね。
あの頃は、自分が間違っているんじゃないか、とか、正しくないと駄目だ、みたいなのがすごく強くて。自分の凄さや存在価値を証明しようって気持ちも大きかったんですけど、今は、土佐町の自然と優しい人に囲まれながら、自分なりに発信を続けるなかで、だいぶ落ち着いてきた感覚です。
前の会社は広告代理店だったので、クライアント相手にマーケティングを行っていましたが、実際に今自分がやっているものとは全く別物。いざやってみると、実際って全然違っていて。この実際があるからそれが大きくなり、 ビジネスに繋がっていく。リアルを体感して積み上げていっているこの感覚が、生きているって感じがします。
それが思い描いた最高の場所で感じられてるってすごいことですね。
よくよく考えてみたら、都会ってあの面積の中で、あんなに人数がいるから、影響力を持つには相当なパワーが必要だと思います。でも田舎だと都会に比べてそもそも絶対数が少ないので、素直にやっていたら自然と影響力が培われていく状態になれるし、その方が自分のメンタル的にも健全だなぁって。
都会に暮らしていた頃と、今土佐町で暮らしを比べて、そう感じるようになりましたね。






