「帰ってきてくれてありがとう」――地元の人からも、移住してきた人からも、そう声をかけてもらえる町がある。
大石さんは、成田空港のグランドスタッフとして7年勤めたのち、本山町役場へUターンしました。離れていた間も、自分なりの形で本山に関わり続けていたと話します。
Uターンを決めたきっかけ、戻ってきて見えてきたこと、これから関わっていきたい本山町について、お話を伺いました。

大石(おおいし)すみれさん/ 2024年4月 本山町
これまでと U ターンを決めるまで
―――U ターンを決めたきっかけは何だったんですか?
いやもう、いろいろあって(笑)。
学生の頃から地元は好きだったので、就職のときから「高知で就職するか、出るか」みたいなのはずっと悩んでいました。でも、新卒で高知に就職したら二度と他県には出ないかもな、って思ったんですよね。それでたまたまご縁があった成田空港で7年働かせてもらったんですけど、その間もなんとなく引っ張られてる感じがあったというか。向こうの生活に満足してなかったわけじゃないんですけど、「ここ、地元じゃないしな」みたいな気持ちはずっと片隅にありましたね。
7年勤めるなかで、若い層が多い会社だったこともあって、自分のポジションもだんだん上がり、この先この会社でどうなっていくかっていうのがなんとなく見えてきて。それと同じ時期にコロナ禍に突入して、仲が良かった同期や、頼ってた先輩がどんどん転職していったり、結婚して仕事を辞めていったり。年齢的にも、自分の人生をちゃんと考えるタイミングに差し掛かっていました。
実家も、ちょうど家族の介護のことが気になり始めていた時期で。そこに、本山町役場の求人が出たんです。30歳までが応募資格で、私はその最後の年。「いま受けないと、もう受けられない」って。それが、一番大きな決め手でしたね。
成田空港の仕事は好きだったので、辞めるのはやっぱりすごく悩んだんですけど、もし役場の仕事が合わんかったらもう一回今の職場に挑戦しよう、って思えたのもあって挑戦できました。ほんとに、ぜんぶのタイミングが合ってたんです。
成田での 7 年と、本山町への距離感
―――成田空港ではどんなお仕事を?離れている間、地元との距離はどう感じていましたか?
いわゆるグランドスタッフですね。搭乗口で「何時から搭乗です」ってご案内したり、チェックインカウンターでお客さまの対応をしたり、幅広く業務を行ってきました。働いていた最後の3年は、新入社員教育の担当もしていたんです。それもちょうど一区切りつくタイミングで、「今決めないと、また次の役が絶対くるな」っていうのも分かってて。それも、本山に帰るきっかけのひとつだったかもしれないです。
成田にいる間も、1年に3回は本山に帰ってきてたと思います。私、あんまり「帰省する」っていう重い感じがなくて。母にも言われてたんですけど、「帰ってきてる」というより「おるね」みたいな感覚だったみたいで(笑)。
割とナチュラルに行き来できてたので、戻ってくることに対して、そこまで心配はしてなかったんですよね。
ただ、帰ってくるたびに実家の周りを見ると、明らかに手が入ってない田んぼが増えていて。実家も田んぼは作れてないので、人のことは言えないんですけど、「あ、ここも作らんなったんや、ここも作らんなったんや」って。それはちょっと、悲しかったですね。
学生のときも、向こうで働いていたときも、自分のSNSで「自分の周りには、こういういい景色があるんだよ」っていうのを、自分なりの規模で発信はしていました。自分が田んぼをやるのは難しいけど、別の形で、友達界隈にでも本山のことを伝えられたらと思って。離れていても、自分のできる形で本山に関わり続けてはいたのかな、と思います。
「帰ってきてくれてありがとう」と言ってもらえる町で
――今は本山町役場で働かれていますよね。戻ってきて、改めて気づいた本山町のいいところはありますか?
仕事は、思ってたよりずっと忙しいです(笑)。
総務課に配属されて今年で3年目なんですけど、こっちはマンパワーが圧倒的に少ないので、ひとりの仕事の幅がすごく広くて。「あれも、これも、やらないと」みたいになることもあります。でも、やりがいはちゃんとあります。
戻ってきて一番「いいな」と思ったのは、本山保育所の取り組み。私はまだ子どももいないし、仕事で直接関わることもそんなに多くはないんですけど、回覧物やお知らせを見てると、子どもたちにどういうものがいいのかを、親御さんと一緒に考えたり、園内の遊具を手作りで整備していたりとか。決められた形で揃えるんじゃなくて、本当に子どものことを考えてやっているのがすごく伝わってくるんです。
きっと、いまの保育所の職員さんたちが、少しずつ作り上げてきて、いまの形になってるんだろうなって。もし私が親になったら、「ここしかないから預ける」じゃなくて、「ここに預けたい」って思える保育園だなと思います。
あと、帰ってきて一番嬉しかったのは、いろんな人が「帰ってきてくれてありがとう」って言ってくれたこと。小さい頃から知ってる人はもちろんなんですけど、もともと移住してこられた方からも、そう言ってもらえて。なんか不思議な感覚なんですけど、「私はここが里だけど、移住してきたこの人にとっても、今はここがこの人の場所になってるんやな」って思って、それがすごく嬉しかったですね。
自分の知らない間に嶺北が動いていってて、いろんな人がここで暮らしを作っている。それでも、人の温かさみたいなのは昔から変わってないなと感じますね。
これからの本山町と、戻ってきて思うこと
――外で 7 年働いてから戻ってきて、これからどんなふうにこの町と関わっていきたいですか?
暮らし方は、意外と変わってないんですよ。本山から高知市内に出るのも車で1時間、成田にいたときも都内に出るのに電車で1時間。「本山は遠いよね」って言われても、「成田も遠かったしな」みたいな(笑)。逆にその1時間が、いい切り替えになったりもしています。
ただ、戻ってきて気づいたこともあって。地元住民同士の「内輪のり」というか、ちょっと古い考え方が残ってる部分もあって、そこは「だいぶ遅れちゅうな」って驚いたのは正直なところです。これは外に出てたからこそ気づいたことで、ずっとここにいる人にとっては当たり前のこと。なので、それ自体が悪いっていう話じゃないんですけど。
ただ私自身は、いろんな人が入ってきて生まれていく新しい目線も、ちゃんと取り入れていけたらいいなと思います。私はUターンなので、Iターンの方の声がちゃんと届く橋渡しになれたらいいなって。役場の職員という側面はもちろん大事にしないといけないんですけど、「自分は自分」として、成田空港で培ったものも含めながら、うまく自分を使えたらいいなと思っています。できる範囲で動いていって、それがどんどん広がってくれたらいいな。それは役場に入ってからもずっと考えていることですね。
もし同世代で帰るか迷ってる人がいたら、私みたいに「タイミングがぜんぶあった」って思える瞬間が、きっとどこかで来ると思うんです。それまでは無理に決めなくてもいいし、離れていても自分なりの関わり方はできるし。受けてみてから考えたらいい、っていうくらいの気持ちで、ぜひ本山町のことも頭の片隅に置いてもらえたら嬉しいです。






