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「今動かないと、と思った」50代で選んだ嶺北での新たな生き方。

「もしかすると、今動かないと、もう動けないかもしれない」――そう思ったのは、40代後半の頃でした。大阪でずっとサラリーマンとして働いてきた山田 洋さんが、本山町に移住してきたのは2021年、50代を迎える少し前のこと。

地域おこし協力隊として3年間、山と向き合う日々を経て、いまは山番有限責任事業組合の一員として林業に携わっています。「今動かないと」と踏み出した一歩から始まった、山田さんの嶺北での日々についてお話を伺いました。

山田 洋(やまだ ひろし)さん / 2021年春 本山町

「今動かないと」と、思ったんです

―――大阪から本山町への移住のきっかけを教えてください。

生まれてからずっと大阪にいたんです。結婚してから引っ越しはありましたけど、それも全部大阪。会社員をずっとしていたんですけど、若い頃からずっと、「サラリーマンって自分に合ってるのかな」って違和感があったんですよね。もちろん結婚して子どもも生まれて、生活があるから、ある程度安定した収入を得ないといけない。サラリーマン以外の選択肢が思い浮かばなかったし、自分で何か始める自信もなかった。だから正直、我慢しながら続けていたっていうのはあります。

それが何十年も続いたんですけれど、ふと「あとどれだけ仕事するんだろう」って考えたときに、そこまで長くもないなと気づいて。「もしかすると、今動かないと、もう動けないかもしれない」って思ったんですよね。それが40代の後半の頃だったと思います。

じゃあ何をしたいかって考えたときに、やっぱり自然の中で仕事がしたかったんですよね。もともと山登りが好きだったので、山の中で仕事したいっていう気持ちがありました。でもそれは大阪の町のど真ん中に住んでたんでは、なかなかできない。地方に移住してそういう仕事ができるところを探そうっていうのが、大きな理由の一つでした。

林業のことをまず調べて、盛んな地域はどこか、日本の中でも都道府県ごとに調べていって。そしたら高知県は森林率も高いし、林業も比較的盛んで、自伐型林業推進協議会の代表の方も高知の人だったりしたこともあって、目に留まったんです。

あと、妻の実家が愛媛の四国中央市にあるんです。妻のお母さんが一人になって実家に戻ってきていたので、地方移住するなら近いところがいいっていうのが、移住に対する妻の条件だったんです。本山町なら高速に乗ったら1時間もかからないし、じゃあここがいいねって。ちょうどうまく擦り合わせられたんですよね。

地域おこし協力隊から、山番へ

―――2021年に本山町に来られてから、どんなふうに今のお仕事に繋がっていったんですか?

地域おこし協力隊っていう制度を使うのがいいかなって、調べているうちに出てきて。役場所属で当面の生活が保証されるし、住むところも用意してくれる。家賃も3年間は補助が出るし、条件的にすごくよかったんです。その上で林業のことを学べたら一番いいなと思って、応募しました。

本山に来るときは、引っ越しがとにかく大変で(笑)。距離も遠いし、3月末って引っ越し業者もいちばん忙しい時期だから、長距離で受けてくれるところがなかなかなくて。なんとか手配して、荷物を運び込んでもらったときには、「やっと引っ越しできた」って一安心でしたね。

家は本当に山の中で、うちを含めて4軒くらいしかないような集落なんですよ。妻も最初はどうかなと思ったんですけど、思ったより早く環境に慣れてくれて。引っ越してすぐ給湯器が壊れて、お風呂に入れなくて。しばらく毎日車に乗ってモンベルのお風呂に通ったりしていました(笑)。でも妻もそういうのを楽しめる人なんで、「これも大阪じゃなかなかないよね」って、二人で笑いながら過ごしていましたね。

3年間、協力隊として林業を学ばせてもらって、卒業したあと、「山番有限責任事業組合」というところに所属しています。会社じゃなくて、個人事業主が集まってやっている形なので、責任は全部自分で取らなきゃいけない。でもそのぶん、自由もあるし、充実しています。仕事は、楽しいですね。会社員の頃よりずっと。

悪い人が本当にいない町

――本山町で暮らしてみて、地域の人とのつながりで感じることはありますか?

本山に来てからは、自分でも性格がだいぶ穏やかになったなって思うんです。周りの人がみんな、なんて言うのかな、悪い人が本当にいなくて。田舎の人ってみんなこんなに良い人ばっかりなんやなって、最初来たときに思ったし、今もそう思っています。そういう人たちの中にいると、自分もそういうふうになっていくんでしょうね。困っている人がいたら、自分ができる範囲でちょっと手伝いしたりとか、そういう気持ちに自然になってきたなと。

面白いのが、大阪にいた頃って、近所付き合いってほぼなかったんです。マンションに住んでいて、お隣の人もはっきり知らない。たまに顔を合わせて「こんにちは」って言うぐらいで、何をしている人かも知らない、子どもがいるのかどうかも分からない。それでも都会だと普通に生活できてしまう。だから、実は都会にいたときのほうが、僕は知り合いが少なかったんです。仕事以外に繋がりのある人って、本当に数えるほどしかいなかった。

それが、こっちに来て一番最初に戸惑ったのが、来た瞬間から知り合いが一気に増えるんですよ(笑)。協力隊の先輩も同期もいるし、役場の人とも毎日話をするし、地域の人とのつながりもあるし。最初の1ヶ月で知り合う人がブワッと増えて、「どうしよう、顔と名前が覚えられない」って、それがこっちに来て一番戸惑ったところでしたね。

4年経った今もまだ、知り合いは増えていってるんです。区長さんに「あの人、何ていう人?」って聞くと、「あの人は何々さんで、家がどこそこにあって」って全部教えてくれるので、それを頑張って覚えている最中です(笑)。

副区長、そして来年は区長へ

――来年からは区長を担われるとお聞きしました。

うちの集落は4軒しかないんですけど、その集落を束ねる大きい区が40世帯弱くらいあって、そこに区長さんがいてるんです。集落ごとに班長さんっていうのもいて、僕のところは1年ごとの持ち回り。去年、僕がその班長をしていたこともあって、区長さんとの関わりが増え、すごく仲良くしてもらいました。そしたら「来年、副区長やってみないか」って言われて。「いや、地域のことも全然分かってないし、要らんわ」って言ったんですけど、「山田君やったら」って(笑)。

しょうがないから今年は副区長をしています。うちの区は、副区長をやると自動的に翌年は区長になる仕組みなんです。それを役場の方に話したら、「移住してきて、副区長までしてるってすごいですね」って言われました。副区長っていうのは、やっぱり地域のことを昔からよく知ってる人がすることが多いから、外から来た人がやるのは珍しいんだって。

50歳を過ぎても、地域では若い方になるんですよね。「若者」って言われるから、何かあったら「山田君、頼むわ」って声がかかる。うちの集落と上のほうの集落、合わせて6軒くらいなんですけど、今年の秋から簡易水道の工事が始まるので、そのまとめ役の代表もやってみてって言われて。「そんなんも!?」ってびっくり(笑)。でも、それはある意味、頼ってくれてるってことだから。「こいつやったら任せても大丈夫やろ」って思ってくれてるんやったら、移住してきた身としては、それはそれでほんとありがたいなと。

分からないことは、周りに聞いたら色々教えてくれる。集落の中に町長さんもいらっしゃって、僕が引っ越してきたときからずっと相談に乗ってくれている。だから安心して聞ける環境があるし、責任は重いけど、なんとか務まるかなと思っています。

ここに移住してみて、僕は本当にラッキーだったなと感じています。予想していなかったことも、自分にとっては受け入れられることばっかりで。もしかすると人によっては合う、合わないがあるかもしれないけれど、僕は自然の中で仕事ができて、こうやって地域の一員にもなれて、良かったなと。これからも、自分ができる範囲で、この土地と関わっていきたいですね。

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