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移住20年目を前に、次のかたちへ。──本山町で仕事をつくり続けた澤本さんの19年

千葉から高知市を経て、2007年に本山町へ移住した澤本 洋介さん。鍼灸マッサージ師として仕事をスタートし、その後、妻とともに『合同会社さわもと』を立ち上げ、『デイサービス長老大学』を開業しました。コロナ禍にはオンライン支店を開き、いまは全国への展開も見据えています。

「常に3年先、5年先を見て動いてきた」という澤本さんに、移住20年目を前にした今、これまでの歩みとこれから目指すことについてお話を伺いました。

澤本 洋介(さわもと ようすけ)さん / 2007年(2005年 高知市移住) 本山町

川に惹かれて、本山町へ

―――千葉から高知、そして本山町への移住はどんな経緯だったんですか?

もうそれは本当に川ですね。きれいな川に憧れて、2005年29歳のときに千葉から高知市に来ました。四万十川や鏡川を見て「もうここに住もう」と決めたんですけど、いきなり四万十のほうに行くのは行き方もわからなかったし、まずは高知市でアパートを借りて、仕事も探して、そこから将来的に郡部に移ろうと考えていたんです。

高知市で「川が好きで来ました。いずれは四万十に行きたいです」ってあちこちで話していたら、みんなが自分の故郷の川を勧めてくれるんですよ。「そこもいいけど、うちの川もいいよ」って。そのなかで、鍼灸マッサージのお客さんに本山町出身の方がいて、「汗見川がすごくいいから、行ってみて」と勧めてくれたんです。

実際に来てみたら、ビビッと来ました(笑)。渇水期でも汗見川や行川といった支流にしっかり水が流れていて、これは本当にいい場所だと思って。他の川も見に行ったんですけど、生活のことも考えると、病院もあるし、学校も高校まである。高知市内に通う距離としても悪くない。住むなら「ここだ」と決めました。

家も、高知市にいたときに新聞の取材を受けて、「本山に住みたいと夢を膨らませている」というような記事を書いてもらったんです。そしたら、それを見た方から「空き家があるよ」と連絡が来て。しかも紹介してくれたのが本山町では顔の広い方だったので、僕が引っ越す前から「今度こういう人が来るから、よろしくね」と、あちこちに声をかけておいてくれていたんです。土壌ができていた状態で移住できたのは、本当にありがたかったですね。2007年、上の子どもが0歳のときに、本山町に来ました。

暮らしのなかで見えてきた、次の一歩

―――本山町での暮らしのスタートと、次のかたちを考え始めるまでを教えてください。

暮らしは、もう本当に理想的で楽しかったです。物件には治療院にできる離れもあったので、高知市時代のお客さんは他の鍼灸マッサージ師さんに引き継いで、こっちで新規開業しました。その頃はお金のことも何も考えていなかったんですよね(笑)。若かったから、後先考えずに動けたんだと思います。

もちろん、高知市にいた頃と比べると収入はぐんと落ちます。それでもマッサージのお客さんもついてくれて、まあまあ回っていたんですけれど、通ってくださっている一人ひとりの割合というのが、地方だとものすごく大きいんですよね。だんだんと患者さんたちが高齢になってきて、車の運転ができなくなってくると、最初は8割の方が治療院に来てくださっていたのが、最終的には訪問が8割になってくる。売上そのものは大きくは変わらないんですけど、「このままだと3年後、5年後、10年後に立ち行かなくなる」というのが、はっきり見えてきたんです。

そこから、「次はどうしようか」と常に考えるようになりました。この19年、ずっとそうです。今は良くても、そのままでは先が細ることが分かっているから、早め早めにいろんなことを変えたり、新しいことを始めたりしないといけない。この地域で求められていて、まだ供給のない仕事を作っていく、というのがずっと僕のやってきたことですね。

田舎暮らしの中で子育てもすることになって、これも僕たちにとってははじめてでした。学校も病院も揃っていて、環境としてはのびのびとしていて。子どもたちも大きくなって、いつのまにか19年経っていました。

デイサービス長老大学のはじまり

――『デイサービス長老大学』を始められた経緯を教えてください。

妻がもともと介護福祉士と准看護師の資格を持っていて、こちらに来てから社会福祉協議会で正社員として働いていたんですけど、当時、社協の正社員でも手取りが12万円程度、時給にして700円という時代だったんです。ケアマネジャーの仕事に集中したいという妻の希望もあって、「じゃあ独立しよう」ということになりまして。ケアマネ事業所を立ち上げるのに、資格者が二人いたほうがいいということで、僕もケアマネの資格を取りました。それと同時に、法人格が必要になって、『合同会社さわもと』を作ったんです。

ケアマネの仕事をしていると、「デイサービスに通ったら絶対元気になるだろうな」という方でも、「行きたくない」と家に閉じこもり状態になっている人が結構いらっしゃる、というのが見えてきました。家にいると、そもそも朝起きないし、パジャマからも着替えないし、動かないからお腹も空かない。訪問系のサービスだけでは限界がある。じゃあ、「既存のデイに通いたくない方が、行ってみようかなと思えるデイサービスを作ったら、地域の役に立って、仕事にもなるんじゃないか」と考えたんです。

始めたきっかけは、そんなふうにシンプルなものでした。素人だったからこそ、「僕らがやれば、もうちょっとうまくできる気がする」と思えて。土佐山アカデミーが開催していた起業家養成プログラムに1年間参加して、そこで講師をされていた『ナリワイをつくる』の著者・伊藤洋志さんに、コンセプトをお話ししたら「長老大学だね」とポツリとおっしゃってくれて。それで『デイサービス長老大学』という名前になりました。

長老大学では、「聞き書き介護」というのをやっています。利用者さんの昔の暮らしや仕事、今考えていること、感じていることをお聞かせいただいて、記録に残していく取り組みです。うちのデイは後発だったので、「選んでもらうために何ができるか」を考えたときに、「話を聞くこと」を軸にしようと。話をしたい、聞いてほしい方は本当にたくさんいらっしゃるので、そこに応えるかたちにしたんです。

20年目を前に、次のかたちへ

――これから目指していることを教えてください。

コロナ禍のときに、オンラインの聞き書きを始めました。デイに通えずに引きこもり状態になっている方たちにこそ、オンラインは意外と合っているんです。参加する用があるから起きるじゃないですか。着替えて、顔を洗って、カメラの前で他の方たちとおしゃべりして、水分補給して、体を動かして。訪問だけではどうにもならなかった方が、オンラインに参加するだけでものすごく元気になっていくのを見て、「これはすごいぞ」と思ったんです。

コロナが落ち着いてから、同じような取り組みは他の事業者さんはやめてしまったところが多いんですが、うちは続けています。今は月曜から金曜まで毎日やっていて、全国から10名ほどの方に参加していただいています。オンラインをきっかけに、「デイってこういうものか」と感じてもらって、リアルのデイに繋がる方もいるんです。競合というよりは、補完し合うようなものになっています。

いまは『オンラインデイサービス協会』という社団法人も立ち上げて、この取り組みを全国に広げていこうとしているところです。将来的には公的な事業として認めてもらえるように、エビデンスを積み重ねているところですね。この土地に限らず、日本のどこかで成功例を作って広げていければ、と思っています。

もちろん、本山町で暮らしてきた地元の高齢者の方たちにリスペクトを持って、家で楽しく暮らせるようなサービスは、これからもずっと続けていきます。この19年で、コンビニやホームセンター、ドラッグストアまでできて、本山はどんどん便利になってきました。ですが、これから不便になっていく局面が来るのは分かっているので、そこにどう対応していくかが、次の課題ですね。

移住や地方での仕事を考えている方には、「地元相手の商売のハードルは、20年前より上がっている」というのが正直なところです。ただ一方で、この20年でオンラインでどこでも働ける環境になってきて、そういう働き方をされている方にとっては、ここは最高の場所だと思うんです。僕自身も、常に3年先、5年先を見据えながら、次のかたちを作っていきたいですね。

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