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不自由は、不幸せじゃない。──大豊町・怒田集落へ戻ってきた、川﨑さんご夫妻

大阪で10年、高知市で30年を経て、62歳で故郷の大豊町・怒田(ぬた)集落に帰ってきた川﨑 幸男さん。「長男として、いつかはここに帰る」という思いを胸に、奥様の美和さんと二人で戻ってきました。

今は民宿「風とあそぶ宿 やんちゃ」を営みながら、教育民泊で訪れる子どもたちを迎え、この土地で日々を紡いでいます。「不自由は不幸せじゃない」――そう語るお二人に、Uターンから今の暮らしまでお話を伺いました。

川﨑 幸男(かわさき ゆきお)さん・川﨑 美和(かわさき みわ)さん / 2017年 大豊町

故郷大豊町・怒田集落へUターン

―――大豊町に戻ってこられた経緯を教えてください。

僕は生まれも育ちも、この大豊町の怒田(ぬた)集落なんですよ。中学まではずっとここで育って、高校は南国市の後免で下宿。卒業してから10年ほど大阪で働いていました。長男なので、いつかは実家に帰るという気持ちはずっとあったんですけど、子育ては高知市でして、大豊には帰らずにいたんです。

ここに帰ってきたのは、会社を辞めた62歳の頃かな。それまでは父親がここに一人で住んでましたが、16年前に亡くなって。それから僕は一人でここから仕事に通ったりもしながら、会社をやめたタイミングで完全にこっちで暮らすようになりました。宿を始めたのが64歳くらい。「代々の川﨑の家を守っていく」という使命感みたいなものが、ずっと自分の中にはあったんだと思います。

私は同じ高知でも、本川村(現・いの町)出身なんです。主人とは高知市内で出会って、結婚してもう42年になります。

囲炉裏で遊んでいたら、宿になっていた

―――今の民宿「やんちゃ」を始められた経緯は?

最初から宿にしようと思って始めたわけじゃないんですよ。みんなで集まって、飲んで騒いで楽しめる場所があったらいいなと思って、外に囲炉裏を作ったのがスタートでした。友達に「絶対人来るよ」って言われて、コロナ禍でやることがなかった時期に少しずつ開拓していったら、いい場所になってきて。

ちょうどその頃、町から教育民泊の話をいただいたんです。教育民泊を始めると今度は「営業許可も取ったら?」と役場の方が声をかけてくれて。実際にホームページを作って営業を始めたら、ぼちぼちお客さんが来てくれるようになって。「意外と来るんやな」って思いましたね。教育民泊はもう10年近くやっています。

教育民泊は、命を預かる仕事なので、正直、覚悟がすごくいるんです。苦労もあるけど、子どもたちがかわいくて、楽しくて。何でも感動してくれて、はしゃいでくれる。それを見ると、もう最高で大満足なんです。

雲海が出た日には、手作りのほうきに乗って、雲海をバックに「せーの、飛んで!」って写真を撮ったりして。子どもたち、かっこよく飛んでくれるんです(笑)。なかなか雲海は見られないから、見られた子たちは大喜びです。

栗拾いや柚子絞り、椎茸取りも、来た時期に何が旬かで体験できるものが変わるんです。「じゃあ、今度は別の季節に」って、それで宿の方もリピーターが増えていく感じですね。

お客さんに教えられて、気づいたこと

――大豊町・怒田集落で暮らしてみて、感じている魅力を教えてください。

この景色、住んでる私たちには、当たり前すぎて良さが分からないんですよ。お客さんが「山の壁にくっついたような家が珍しい」「雲海が本当に見える」「すごい!」と喜んでくれて「ああ、そういうことなんだ」って気づかされる。

「怒田(ぬた)」って、「怒る田んぼ」って書くんですよ。昔、土砂災害で流れた土地に家が建ったって伝わっていて、そういう伝承があるくらい自然が近い場所なんです。でもそのぶん水が豊富で、お米がおいしい。粘土層の土と綺麗な水、雲海の水滴が葉について作物を太らせてくれる。条件はいいんですよね、狭い田んぼだから量は取れないけれど。

私、高知市内にいた頃は花が好きで、家中を花でいっぱいにした「オープンガーデン」をしていたんです。お客さんが来るたびに「綺麗ですね」って喜んでくれるので、それがまた張り合いになってますね。

四季がはっきりしているのも、ここのいいところだと思います。冬は雪が積もって、雪かきをしたり。春、夏、秋、冬と、順番に変わっていくのが心地いいんですよ。大阪にいた頃、光化学スモッグで生駒山が見えないような時代を経験したので、余計にね、ここの景色の綺麗さが身に沁みるんです。

「不自由は、不幸せじゃない」と気づいた日々

――これからの大豊のこと、そして、Uターンや移住を考えている方へのメッセージをお願いします。

私は最初、「山なんて絶対嫌」って言っていた側の人間なんです。それが今は、ここでぼーっと1時間、2時間過ごせる。町にいたら、朝、掃除をした後「何しよう」ってなって、外に出たらお金を使うか、家にこもるしかないじゃないですか。ここは、出れば用事がある。動く意味があるんです。

コンビニもないし、車がないと動けない。でも、不自由は不幸せじゃないんです。不自由をよく受け取れば、楽しむ方法はいっぱいあるんです。

はじめて自分で米を作った時にね、「主食を作れると、生きることに自信がついてくる」って感じたんです。鉄鋼の仕事をずっとやってきたので、物作りは面白いって思っていたけど、農業って人が動かなくても、自然の力で作物が太っていくんですよね。しんどくて寝ていても、野菜は成長してくれる。

これから先のことを考えると、僕たちの世代がUターンの最後かもしれないと思うところがあります。この地区も、今は40世帯くらいで、ほとんどが一人暮らしのお年寄り。子どももほとんどいなくて。これからは、移住してきてくれる若い人に頼るしかないと感じています。

放棄地がどんどん増えてきているので、できたら移住してきた方と一緒に、田んぼや畑を守っていきたいんですよ。働いた代償はお金じゃなくて、作った米や野菜で分け合うような形で。そんなふうに、この土地を次の世代に繋いでいけたら、と思っています。

いきなり住むのが不安なら、1ヶ月でも2ヶ月でも、体験してみるといいと思います。厳しさもあるけれど、住み始めた人が楽しくやっているのを見ると、やっぱり、この土地には来てみる価値がある。私自身が、そうやって少しずつ好きになっていったので。

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