「学生たちが活動に来る時、私たちは『おかえり』って言うんですよ。すると学生たちは『ただいま』って答えてくれる」――そう語るのは、大豊町・立川地区で活性化推進委員会 会長を務める吉川 定雄さん。
国立印刷局で紙幣製造の仕事を続けてきた吉川さんが、故郷の立川地区に戻ってきたのは16年前のことでした。「営みが実感できる里づくり」を掲げて、学生・地域おこし協力隊・移住者と共に、家族のような関係を築いてきた歩みについて、お話を伺いました。

吉川 定雄(よしかわ さだお)さん / 2010年 大豊町
大豊町・立川地区への帰還
―――吉川さんが大豊町・立川地区に戻ってこられた経緯を教えてください。
私はもともと国立印刷局、当時の大蔵省ですね、そこで長く紙幣製造の仕事をしていました。家も埼玉県に建てて、そこで暮らしていたんです。
戻ってきたきっかけは、家内がアルツハイマーになったことでした。目を離せない状態で、家に置いて出勤すらできなくなってしまって。定年まで3年というタイミングだったので、上司の計らいで宿舎と事務所がセットになった徳島県池田の出張所に回してもらい、最後まで勤めさせてもらったんです。
定年後は、本来なら埼玉の家に戻るのが普通なんですけど、家内の状態を考えると、それができなかった。なので、親父が植えていた柚子もあったので、その手入れをしながらここで家内を見ようと決めて。ここ立川なら、私のことをみんな知ってくれているので、家内が徘徊で家を出ても、近所の人がちゃんと連れて帰ってきてくれるんですよ。「安心して面倒を見られる場所は、ここしかない」と思ったんです。
家内は3年前に先に逝ってしまいましたが、地元の方々に支えられながら、ずっと在宅で見てこられたのは、この土地だったからこそだと思っています。

「営みが実感できる里づくり」を掲げて
―――立川地区活性化推進委員会は、どんな経緯で立ち上げられたのですか?
もともと立川地区には区長会があって、私はその代表をしていました。8年ほど前に、その区長会をベースにして、老人クラブや保存会、民生委員、公民館の館長さんなど、いろんな公的な役割を担っている方たちを巻き込んで、新たに「立川地区活性化推進委員会」を立ち上げたんです。
その時に掲げたキャッチコピーが、「営みが実感できる里づくり」。じいさんばっかりの地区だけど、外から見た人が「あそこに行くと、なんか元気もらえるよね」と感じてくれる。そんな里を作っていきたい、というのが、私たちの発想の原点です。
立ち上げる時、いろいろ考えました。集落活動センターっていうのは、県内に70ぐらいあって、それぞれいろんな取り組みをしているんです。建物を作って商品を販売したり、宿泊施設をやったり。でも、私は収益事業に踏み出すことは選ばなかったんです。過去の人員の推移を見ていくと、この先、面倒を見る人がいなくなることが確実だったので。
代わりに、リスクを最小限にできるものをメインに据えました。この地区は昔から蕎麦が有名なので、その栽培。そしてもう一つ、ここでは昔、紙幣の原料であるミツマタが作られていたんです。ミツマタは製品にするまで手がかかりすぎるけど、苗木だけならお年寄りでもできる。ちょうど池田で仕事をしていた時に苗木の需要があると聞いていたので、「これならできる」と。
その時に私が作った言葉が、「ノーリフト農業」。物を持ち上げない、身体に負荷をかけない農業のことです。年をとってきても、みんなが続けられるものを、と考えたんですよね。
もちろん、この地区の状況は、決して楽なものじゃありません。人口は年々減っていくし、高齢化も進んでいます。でも、悲観していても始まらない。だからこそ「営みが実感できる」ということを、一歩ずつ形にしていくしかないんです。

「おかえり」と「ただいま」で結ばれる関係
――高知県立大学の学生さんたちとの関わりについて教えてください。
実はね、私は現役時代、埼玉県で「森林サポータークラブ」というのに関わっていたんです。県が募集した、山の手入れをする関係人口のグループでね。最初は200人くらいだったのが、私が高知に帰ることになった頃には600人ほどになっていて。今度は、私が受け入れる側になっていたというのが面白いところです。
4年前、高知県立大学の地域課題解決や魅力発信に取り組む学生団体「おおとよ探検隊」がここに来てくれたんですよ。最初は4人でした。その4人が「この地区の魅力を発見して、情報を発信していきたい」と言ってくれた時、私はもう嬉しくてね。今ではその「おおとよ探検隊」も50人ほどにまで増えました。
私が大事にしているのは、単なる労働力として来てもらうんじゃない、ということです。年度始めに学生と打ち合わせをして、学生がやりたいことを地元がサポートする。逆に、我々がやってほしいことがあれば、学生が力を貸してくれる。そうやってお互いに提案し合う「マッチング」を大事にしています。
学生たちには、学校で教わらない知識をここで身につけて、社会に出たときに役立ててほしい、というのが私の願いなんです。例えば、住民から「スマホの使い方を教えてほしい」と要望があった時には、21人の学生が先生役で来てくれました。ほぼマンツーマンですよ。彼らも、そういうことをやることで、グループをまとめていくノウハウが自然と身についていくんですよね。
今、学生たちとの関係を一言で言うと、家族みたいなものです。学生たちが活動に来る時、私たちは「おかえり」と言うんですよ。すると学生たちは「ただいま」と答える。
帰る時は、私が「いってらっしゃい」、学生たちが「いってきます」。そんな挨拶を交わす関係が、4年間の中で自然にできてきました。
学生だけじゃなくて、コスプレの撮影に来る方、留学生、ここ出身で市内に住んでいる人。いろんな形で関わってくれる人が増えて、地域おこし協力隊で移住してくれた方も、卒業して定住してくれています。それぞれの関わり方があるんです。

できることから、ひとつずつ
――これから、やっていきたいことを教えてください。
いま並行して進めていることがいくつかあります。ひとつは、「集落の教科書」の深掘り版です。移住してきた方向けに、実際にここで生活するときに役立つ知恵をまとめるものです。方言、料理、歴史、それから「絶対食べちゃいけない毒草」の情報とかね。年寄りが持っている知恵を、いま集めておかないと、聞ける人がいなくなってしまう。だから今のうちに、全部データにして残していこうと。これも、学生さんたちと一緒に地区に入って進めていく予定です。
もうひとつは、南海トラフへの備え。ここは孤立する可能性が高い地域なので、住民には食料を2ヶ月分は確保してもらう、そのための保存の仕方や、災害時に役立つレシピを、学生と一緒に考えて配ったりしています。昔の暮らしの中には、そもそも自分たちで食べ物を作って、備える文化があった。それをもう一度、生活の中に取り戻していきたいんです。
正直、この地区の人口減少を止めるというのは、私が抱えられる話ではありません。でも、少しでも関わってくれる人がいて、みんなに頑張ってもらいながら、地区が「消滅しないようにする」ことは、まだできる。それが、私が今やっていることです。
夢だけを語っていても、なかなか動かないんですよ。できることから、ひとつずつやっていく。できたと一人ひとりが思えれば、次に進んでいける。それが、私たちの基本ですね。
外から見て「なんか元気もらえるな」と思ってもらえる里。そうやって、営みが実感できる場所であり続けたいと思っています。



