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日本で2番目に小さな村で、充実した子育てを。――大川村で移住13年目のいま

人口300人台、離島を除いて日本で2番目に人口の少ない大川村。「こんなに人口の少ない村で、子育てって本当にできるの?」――そう思う方もいるかもしれません。

関哲也さんは13年前、千葉から大川村に移住し、結婚、いまは2人の子どものお父さんです。経済的な負担の少なさ、自然のなかでの希少な体験、40年続く山村留学。13年暮らしてきたからこそ見えてきた、大川村での子育てと教育のリアルについて、お話を伺いました。

関 哲也(せき てつや)さん/ 2013年4月 大川村

「自分なりの日本一の田舎」を探して

―――関さんが千葉から大川村に移住されたのは、どんなきっかけだったんですか?

きっかけは大きく2つあります。1つは、父の実家が群馬の少し田舎の方で、子どもの頃からじいちゃん家にちょくちょく行って、野菜を採らせてもらったりしていたんです。それがすごく楽しかった記憶があって。「どうせならめっちゃ田舎に行ってみてもいいかな」って思ったんですよね。それで「自分なりの日本一の田舎」を探していたら、大川村が当時、(離島を除いて)日本で一番人口が少ない村だったんです。

もう1つは、大学で専攻していたのが人間環境学部というところで、入った頃に「日本人と同じ生活水準を世界中の人がしたら、地球ひとつじゃ資源が足りない」みたいな授業を受けたんです。それも、極端な田舎に行ってみようと思うきっかけになりました。あと正直なところ、「都会で暮らすよりも、自分の居場所が見つかりそう」っていう気持ちもありました。

四国は当時一度も行ったことがなかったので、名前を聞く地域を何ヶ所か回ってみることからスタート。徳島の上勝とか、高知だったら馬路、梼原、室戸、足摺と、いろいろみてまわった結果、最終的に“ひと”の印象がいちばん良かったのが、他でもないここ、大川村だったんですよね。

最初に大川村に来たとき、何の予定もなくバスで来てしまって、役場の隣にある筒井旅館のお母さんに「2泊3日も移動手段なしでどうするん?」って驚かれて。そしたら「ちょうど長男が夏休みで帰ってきちゅうき、この子に案内させるわ」って話が進んで(笑)。その息子さんが3日間、大川村中を車で専属ガイドしてくれたんです。思わず「めっちゃ優しい」って感動しちゃって。あと、地元のことをこんなに案内できるくらい、地域を好きでいる人がいるんだな、自分が逆ならできるだろうか、って考えさせられて。それが強く印象に残りましたね。

それから何度か大川村に通って、結局大学4年の夏には2ヶ月間、大川村にある『むらびと本舗』っていう会社にインターンみたいな形で滞在させてもらいました。最終的に役場の試験を受けて、運良く合格して、大学卒業2日後に大川村に移住して、はや13年です。

生きるのに精一杯だった、最初の3年間

―――実際に移住してみての暮らしは、どんなものでしたか?

最初の3年は、本当に「生きるのに精一杯」っていうイメージが強く残っています。楽しかったんですけど、初めての社会人、初めての移住、初めての一人暮らし。それが大川村だったので、なかなかうまくいきませんでした。

苦い思い出としては、引っ越してすぐの頃、当時の集落の方に「道作りがあるから、草刈り機を構えておいて」って言われたんですよ。まず、草刈り機って何やろうって思って(笑)。お金もなかったので、Amazonで一番安いのを1万円で見つけて、「これで買えるわ」って注文したら、ちっちゃい箱に部品がバラバラに入った状態で届いて。もちろんそんな状態だと組み立てもできず、結局、手鎌1本で初めての道作りに臨んだ結果、それじゃ仕事にならないよ、と地域の方に注意されてしまって。いま振り返っても苦い思い出ですね(笑)。

土佐弁も最初はまったく分からなかったですね。ミッションの車を運転してるときに「もっと“ガイ”に踏みやー」って言われても、「“ガイ”ってなんやろ」って思ったり。地元の70代くらいの方々が集まるカラオケの会に混ぜてもらった時も、部屋中土佐弁が飛び交って、いよいよみんなが何を話しているか全く分からなかったりで。

あと当時、僕が大川村に来る時に「すげー頭がいい奴が来るらしい」みたいな噂になっていたみたいで。実際まあまあポンコツだったので、ギャップがあったのかもしれないですね(笑)。

それでも3年、4年目くらいからは少しずつ暮らしに慣れてきて、生活も仕事も馴染んできた感じです。そのあと、愛媛県で知り合った妻と結婚しました。妻は保育士で、結婚を機にこちらに来てくれて、村営の保育園で働いています。結婚して次の年に長女が生まれ、いまはその下に息子もいます。

都会と違う価値のある教育現場

――結婚・子育てを通して感じる大川村の教育環境について、お話を聞かせてください。

子育て環境としては、本当に恵まれていると思っています。親目線で特にありがたいのは、経済的な負担が少ないこと。保育料は第1子の生後6ヶ月から無料でした。僕は28歳で子どもを持てたんですけど、お金の心配がそんなになかったことは、今考えると大きかったなと思います。

それから、子どもの自然体験。家から車で5分のところに四国で一番落差の高い滝があったり、野いちごを摘んだり、流しそうめんや野菜の収穫、雪遊びも星空観察も、ぜんぶ日常の中にあります。村長さんから「今年はホタルが飛んでるから見に来るか」「タケノコ掘りにくるか」って誘ってもらったり。自分の小さい頃と比べたら、結構贅沢な体験ができているなと思いますね。

――学校の環境はいかがですか?

大川村は義務教育学校という形をとっています。高知県内では4校しかないらしくて、小中一貫、中学1年、2年という形でなく「7年生・8年生・9年生」と数えるんです。1年生から6年生までは複式学級で、3クラスしかありません。生徒7人くらいに対して先生が1〜2人いるので、教育としてはすごく手厚く見てもらえていますね。

面白いのは、1年生が隣で受けている2年生の授業を聞いて、なんとなく先取りしちゃうこと。うちの子も急に「2×1が2」って言い出すこともありました(笑)。

加えて、ICT教育も県内では早い方で、2015年から生徒全員にiPadが貸与されています。教育環境が充実しているのは、ある意味小規模校ならではのことだなと思いました。

それから、大川村には1987年から続く山村留学があって、もう40年近くになります。同級生が0人の学年もあるんですけど、5年生から山村留学を受け入れているので、「5年生になって初めて同級生ができた」という村の卒業生もいて。卒業式のスピーチで子どもたちがその話をしていたのには、グッときましたね。

もちろん、土曜保育や習い事の選択肢など、都会の方がいいなと思う場面もあります。子どもにどんな体験をさせたいかで、街の方がいい部分と、大川村の方がいい部分がある。それでも、人との関わりや自然体験は大川村ならでは。都会と違う価値のある教育がここにはあると思いますし、僕自身、大川村で子育てができたことは、本当に良かったなと思っています。

ここが、僕の居場所

――13年暮らしてみて、関さん自身が変わったところはありますか?

いろいろあるんですけど、まず自己肯定感みたいなものが上がったような気がします。「足るを知る」っていう感覚が、大川村にいると育つんですよね。便利とはかけ離れた暮らしをしているので、「土曜保育があったらいいな」「スーパー近かったらいいのに」って思い出したらキリがないんですけど、「それはそれで、どうにかなるしいいかな」みたいな気持ちになってきました。

大川村にいると、消防団に入って、桜祭りの手伝いに行って、青年団やって、保育園のPTAと子ども会と、役場の仕事もして、と、いろんな役割を必然的に持つことになるんです。だから「役立っている感じ」が見えやすい。役場でも、全員で26人なので、上司も村長も近くて、組織の全体像が見えやすいのもいいところ。

それから、人と比べる感覚が減りました。着る服に気を使わなくなったのは年のせいかもしれないですけど(笑)、いろいろなことに頓着しなくなったかもしれないですね。

子どもの面でも、おんちゃんおばちゃんが子どもたちを本当に可愛がってくれて、よく一緒に遊んでくれます。最初に大川村に来たとき、筒井旅館の長男さんが3日間ガイドしてくれた話をしましたけど、ああいう温かさが、ずっと変わらず大川村にはあるんです。子育てしていても、第三のコミュニティというか、家や学校以外の場所で子どもを見守ってくれる人がたくさんいる。地域全体で子どもを育ててくれている感じです。

最初に移住を考えたとき、「自分の居場所が見つかりそう」って思って大川村に来ましたが、13年経ったいま、ここが僕の居場所だと心から感じています。これからも、家族とともにこの村で過ごしていきたいですね。

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