東京や高知市内での仕事を経て、大川村へ戻った山中さん。
その背景にあったのは、「自分は何を残したいんだろう」という、静かな問いでした。大川村に戻り、食や暮らし、人とのつながりが息づくこの村の価値を、あらためて実感したといいます。
現在は集落活動センターの運営を担い、日々の仕事を通して大川村の魅力を丁寧に伝えています。
慣れ親しんだ土地に戻り、無理のない働き方で地域と関わる——そんなUターンのかたちを感じてください。

山中 珠里(やまなか じゅり)さん / 2023年7月 大川村 Uターン
外に出て、戻るまで。Uターンのきっかけは「何を残したいか」
―――大川村出身ということですが、戻ろうと思ったきっかけは何だったんですか?
大川村にいたのは15歳まで。高校進学を機に高知市で一人暮らしを始め、大学は奈良へ。そのまま奈良で就職し、転勤で東京に行きました。その仕事は、5年勤め、その後そのまま東京で転職し、さらに6〜7年。振り返ると、長い時間を県外と都会で過ごしてきました。
高知に戻るきっかけになったのは、東京にいた頃、東日本大震災を経験したこと。
そのとき、ふと「東京で死にたくないな」と思ったんです。それが一番大きかったですね。ですが、すぐに大川村に帰ろうと思ったわけではありませんでした。正直、大川村には仕事がないだろうな、という思いもありましたし。まずは高知市内で、それまでやってきた教育に少しでも関われる仕事を探しました。
そのときに転職したのが、環境教育や木質バイオマスに取り組む会社。高知県は森林率が84%と高いので、 その森林を活用して県内で経済を回せるような地域内循環ができるような取り組みをしているところに惹かれて就職。学校や地域に向けて、森林資源について伝える仕事をしていました。
その仕事で関わったのは、施設園芸に取り組む農家さんたち。天敵農法や木質バイオマス燃料の使用など、環境に負荷をかけない農業を選んでいる方々にその理由を聞くと「子どもや孫の世代に残せる、誇れる農業をしたいから」と話してくれたんです。
それが「じゃあ自分は何を残したいんだろう」と考えるきっかけになって。そのとき自然と浮かんできたのが「大川村で食べていたもの、おいしかったな」という感覚でした。大川村で食べていたもの、おいしかったな、って。それが、村に戻ろうと思った一番のきっかけですね。 思い立ってから、実際に帰ってくるまでは2年ほど。
引き継ぎをきちんとして、令和5年の7月に大川村へ戻ってきました。
村の「入り口」に立つ集落支援員として
―――いま大川村ではどんなお仕事をしているんですか?
大川村に戻ってきて、9月から着任したのが「集落支援員」という仕事です。
地域おこし協力隊に近いですが、もう少し地元寄りというか、地域の実情をよく知っている人が担う役割の枠があったので応募しました。
主な仕事は、集落活動センター「結いの里」の運営です。ここは県内でも少し珍しいタイプの集落活動センターで、道の駅のような機能も持っています。
観光案内、物販、土日祝日には大川村の特産品を使った食事の提供。村で作られた野菜やお菓子、工芸品などを販売して、訪れた方に紹介しています。
平日は1日10人ほど、土日や観光シーズンには50人くらい。そのなかで地域の方は日によりますが、3分の1から半分くらい来てくれます。「今日あの人来てないね」って、顔が浮かぶのも、この仕事ならではですね。
大川村のファンを増やしたい
―――大川村に帰ってきて驚いたたことや何か感じたことを教えてください。
高知市にいた頃も月に1回は帰ってきていて、地域の方々にも顔を見知ってもらってていたので「帰ってきて驚いた!」という感じは実はあまりなくて。でも、考え方は確実に変わりましたね。
まず、高知県に帰ってきて思ったのは、「高知の食べ物はおいしいな」ということ。
山もあって、川もあって、海もある。食材に恵まれていると思っていましたが、大川村に帰ってきて、「食べるもので自分の身体はできているんだな」ということをより実感するようになりましたね。
食材そのものを生かした昔ながらの味付けを教えてもらったり、それを実際に一緒に作ったり、お味噌作りを手伝わせてもらったり。昔から受け継がれてきた暮らしの知恵に触れる中で、「生きる力を身につけたい」と思うようになりました。
村の農家さんたちが野菜などを納品しに来てくれたときに、どう作っているとかも伺うことができるので、 生産から、作るところまで全部見えるようにもなりました。
都会にいると、どうしても“消費する側”だけになってしまいますが、ここでは、「この野菜はあの人が作っている」と作り手の顔が見える。
だから、ここに来てくれたお客さんには、ただ物を買って帰るんじゃなくて、
「あの人、こんなこと言ってたな」
「あの店員さん、こんなこと話してくれたな」
そんな思い出をひっくるめて、持って帰ってもらいたいなと思っています。
それが、そのまま仕事にもつながっていますね。
好きなものや、知ってもらいたいものがたくさんある、この大川村のファンを、これからも増やしていきたいです。
これからの思いと、同世代がいる心強さ
―――これからやりたいことはありますか?
今力を入れているのが、大川村の特産品を使った新商品開発です。
大川黒牛と土佐はちきん地鶏が大きな特産品ですが、特に、はちきん地鶏のおいしさをもっと知ってもらいたい。
帰ってきてから、はちきん地鶏ばかり食べているんですけど、本当においしい。
大川村の水だったり、空気だったり、この環境だからこその味だと思っています。なので、常温で持ち帰れる商品を作って、結いの里だけじゃなくて、県内外でどんどん販売していきたいと考えています。
大川村には、同世代で戻ってきている人もいます。同級生10人のうち、4人が村にいるんです。
同世代がいるというのはやっぱり心強いですし、素直に嬉しいですね。それに、なによりみんながそれぞれの場所で頑張っている姿を見ると、「私も頑張らないと」って自然と思える。
みんなが作っているものを、ここでちゃんと伝えていきたいし、営業にも行きたいと思っています。
だからこそ、一人でも多く、自分のような大川村出身の人が、この場所に関わってくれたら嬉しいですね。






