東京でミュージックビデオや音楽関連の映像コンテンツ制作に携わり、華やかな世界の裏側で走り続けてきた千賀さんが、今は高知の山あい・大豊町で猫と暮らし、地域の人に呼ばれて屋根にも登っています。想像もしなかった日々は「面白い人生やな」と笑えるほどに新鮮なものばかり。ここにたどり着くまでの道のりと、移住後に広がった仕事や暮らしを聞きました。

千賀 未来(せんが みらい)さん / 2024年6月 大豊町移住
華やかな世界の裏で感じた“違和感”
―――移住しようと思ったのは、何かきっかけがありましたか?
Web業界でディレクターとして長年働いたのち、学生時代からの友人と二人で会社を立ち上げ、ミュージックビデオや音楽関連の映像コンテンツ、音楽ライブの撮影や映像演出など制作の場で、プロデューサーとして数多く携わってきました。初めて、渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンに自分たちの作った映像が流れたときには「東京で成功したのかも!」と高揚感も覚えましたね。
ですが、仕事が増えて実績も重なっていく中で感じていたのは、相方の名前がどんどん前に出ていくこと。それは本当にうれしくて、誇らしいことでした。でも気がつくと、自分は「裏方で支える人」という意識が強くなりすぎて、普段の生活でも希望を素直に言えなかったり、つい我慢してしまうクセがついていたんです。
そんな日々のなかで、映像の華やかな世界に関わっていながらも「これって本当にやりたいことなのかな?」って、思う自分がいて。
そんな気持ちを後押ししたのが、コロナ禍で購入したバイク。元々キャンプも好きでしたので、足を伸ばして千葉の南房総や山梨まで行くことも。片道2〜3時間バイクを走らせる時間が、ゆっくり自分と対話する時間になり、今思うとこれがターニングポイントですね。
自然と触れあうようになったからか、都会的な演出や派手なグラフィックを使う映像やアートにだんだん心が動かなくなっていました。そんなときにパソコンがあればできる仕事なら、東京にいる必要はないかもしれないと思ったんです。
京都を経て、高知へ。「山にピンときた」
―――大豊町に住むことになったのは何かありましたか?
最初の移住先に選んだのは、実家のある大阪に近い京都の田舎町。電車は1時間に数本という生活に最初は戸惑ったものの、案外不便じゃないとすぐに慣れていきました。
そして「もっと田舎でも大丈夫かも」と思い始めた頃、友人に誘われて初めて高知を訪れたんです。それまで一度も高知に行ったことがありませんでしたが、実際遊びに行ったらピンと来てしまって。そこから数ヶ月後には高知に移住してました(笑)
元々海が大好きなので、住むなら海が綺麗なところと思い、西部の四万十市、黒潮町、大月町など海のある地域の空き家ばかり見に行っていたんです。ですが、その町にはピンと来ても、肝心の“家”にはピンと来なくて。
そんななか「高知は山もいいよ!」と聞き、来てみたのが大豊町。高速のインターがあって、大阪まで高速バスですぐに帰れて、高知市内も遠くなくて、これはありだなって。
あんなにも「海がないと嫌!」と言っていた自分が、山のまちに心惹かれたのは意外でしたが、決め手となったのは暮らすイメージの持てる家との出会いでしたね。実際に空き家だった今の家を見に来た時に、一人で暮らすにはちょうどいい広さで、周りに家もあまりなくて、だけどスーパーは近くて。せっかく田舎に来たのに、家と家に挟まれたりする生活は嫌だったので、ここは田舎暮らしを始める自分の理想にぴったりでした。
あと東京暮らしの頃からずっと飼っている猫が一匹いるんですが、もう一匹ずっとお迎えしたかったんです。東京の暮らしだと、こんなところに2匹住ませるのは可哀想だなと思ってなかなかタイミングがなかったんですが、念願叶ってもう一匹お迎えすることができました。2匹それぞれが好きな場所で思い思いに過ごしていますよ。
広がるご縁、“おじちゃんネットワーク”の仕事
―――今、仕事はどうしていますか?
移住後は、東京時代からの縁で動画制作やWeb周りの依頼を受けながら暮らしていたら、どんどんと地域のお仕事が広がって、生業が今5つある状態です。
地域にある廃校を活用した施設の繁忙期スタッフをしたり、町のNPO活動での空き家の片付けやイベントの手伝いをしたり、ドローン国家資格取得の講習が町内で行われるので、その講師の補佐をしたり。
あと、人に話すと一番びっくりされるのが、板金屋さんのお手伝い。ここって謎の”おじちゃんネットワーク”みたいなのがあるみたいで、実際この家を直してくれた大工のおじちゃんの仲のいい板金屋さんなんですけど、突然「おれの仕事手伝ってくれんか?」って家に来たんです。
自分じゃお役に立てませんよと伝えてはみたものの、ひとまず実際に次の日行ってみることに。じゃあ確かに作業自体はおじちゃんだけでできるけど、長い資材を加工したり屋根に上げ下ろしするのは一人では無理そうで。そういうのを少し手伝ってあげる人が意外と必要なんですよね。今までデスクワークばかりだったので、大汗かきながら外で作業して、おじちゃんの話し相手になってっていうのが、新鮮で面白い。
本職以外の4つの仕事全部、自分から探しに行ったわけじゃなくて、気づいたらやってたって感じです。けど、やったことないことばかりなので、どれもやってみると楽しいですよ。おじちゃんのおかげでいろんな場所に行けて、大豊町や嶺北の方々に顔を覚えてもらえましたし、地域での“ご縁の仕事”がどんどん広がっている気がします。
「面白い人生やな」と思える場所
―――ここで暮らし始めて変わったことはありますか?
東京に住んでいたときは選択肢が多いと思っていたんですけど、実際は同じお店、同じ人、同じ遊びの繰り返しでした。結局、どこに住んでいても自分の気に入ったところにしか行かないんですよね。だったら田舎でもいいんじゃないかって。
こっちに来てからは、おじちゃんに呼ばれて屋根に登ったりもしてます。東京でパソコンに向かって仕事をしていた日々から離れて今、高知の山奥の屋根の上にいると思うとなんだか不思議で。
東京にいた頃は、マンションの外壁工事で業者のおじさんたちが足場を組んで、ベランダの外にいるのを見かけると正直嫌だなって思ったこともあります。けど、自分が登る側になって、この仕事の大変さと大切さが分かるようになりました。知らなかったことを知る機会がここでは本当に多いですね。
移住してからは東京にまだ一度しか行ってませんが、自分が住んでいたあたりに行った時に、よくこんなところに住んでたなぁ、って思いました。人が多すぎて、前の自分はそりゃストレスでしんどかったやろなって。今はここでほんまに面白い人生やな、って思える日々を過ごせています。






