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移住から10 年。人と人のつながりで育てる、嶺北のこれから

移住してから10 年。高知・土佐町で農業を軸に地域と関わってきた上堂薗さん。
最初は信頼を得るのに苦労もあったといいますが、人とのつながりや高知らしい付き合い方を通して、いまでは多くの農家さんと共に地域を盛り上げる存在に。そんな歩みと、これから先の10 年への思いを聞きました。

上堂薗 純高(かみどうその よしたか)さん / 2015年4月 土佐町移住

日本食からつながった、“食”への想いと地方への道


―――移住って、どんなきっかけで考えはじめたんですか?

僕は学生時代に一度起業して、上海で生活していたことがあるんです。そこで暮らすなか、日本食の美味しさを改めて実感し、自然と“食”に興味を持つようになりました。

「食に関わる仕事がしたい」という思いを持って日本に戻り、再び会社員を経験しながら2 度目の起業を考えていました。自分の規模でできることは何かと検討を重ねた結果、地方の農産物に携わる仕事に行き着いたんです。

会社員時代に資金を貯めて、退職後は9か月ほど全国の農業法人で研修を受けたり、行政に「こんな仕事がしたい」と相談して回ったりしていました。そんな中で高知県の移住相談窓口に足を運んだ際「嶺北地域では農業のプログラムもあるし、移住にとても寛容だよ」と耳にしました。その言葉を受け、候補にしていた山口・三重・高知の3県でそれぞれ長期滞在してみることに。

最終的には、やりたいことや自分のライフスタイルに合っていて、かつ地域の人たちにも親しみを感じられたことが決め手になって、土佐町に移住することを選びましたね。


―――実際、土佐町に住んでみてどうでしたか?

聞いていた通り、受け入れの雰囲気がとても良かったです。自分よりも前に移住していた方々が、嶺北地域でのつながりをうまく拡げてくれていたので、みなさん移住者に慣れているというか、受け入れの土壌が整っていたように感じました。

これまで中山間地域を中心に、いろんな場所を見てきましたが、正直、排他的な空気があるところもありました。でも高知県は、その中でも圧倒的にオープンな印象でしたね。

研修で1か月滞在しただけでも多くの人とつながれましたし、移住が決まってからはさらに深く関わってくれる方が増えました。

住む地域が決まったときには、歓迎の飲み会まで開いてくれたんですよ。やっぱり高知は飲む機会が多いんですけど(笑)そういう高知らしい付き合い方のおかげで、今一緒に仕事をしている仲間とも自然に仲良くなれました。

農産物を通して、地域の魅力を届ける


―――今はどんな仕事をされていますか?


今は「sanchikara」という団体で副代表をしながら、“道の駅土佐さめうら”の副理事長も務めています。

移住してすぐは、研修でお世話になった“れいほく未来”という農協の出資型法人に就職して、2 年間は営農に専念しました。3 年目からは営農に加えて営業も始めましたね。

その後、移住して5年目に仲間たちと立ち上げたのが、今も副代表を務めている農産物販売団体“sanchikara~土佐れいほく~”。団体の目的は大きく2つあって、ひとつは嶺北地域の農産物を都市部に販売して地域の魅力を伝えること。
もうひとつは、農家さんの所得をしっかり上げて、持続可能な形で農業を続けられるようにすることです。

農家さんから市場や産直よりも高い価格で買い取って、そこに付加価値をつけて都市部のお店などに卸しています。取引先は関東や関西の商談会で見つけることもありますし、高知県内でも年に数回ある大きな商談会に出展したり、自分から直接アプローチすることもあります。営業は慣れているので「ここだ!」と思ったらすぐ行動しますね。全国でネットワークを広げながら、嶺北の魅力を発信しています。

―――道の駅ではどんな役割を担っているんですか?

“道の駅土佐さめうら“は、今でこそ多くの人が訪れるようになりましたが、7年前くらいは売上が今の10分の1ほどしかなかったんです。そんな中で、駅長をはじめ若手が新しい動きを始めようとしたときに、僕も農産物を出していたこともあって「地域にしっかりものを売る場所をつくりたい」「地域のものを循環させたい」という思いで意気投合し、副理事長という形で関わることになりました。

今も地域の農産物を生かした商品はありますが、やはり規格外品をうまくアップサイクルすることに力を入れたいと思っています。地域の加工場と連携しながら新しい商品を開発したり、より付加価値をつけて販売できるような仕組みを考えたり。頭の中ではいつも「どうすれば地域の魅力をもっと知ってもらえるか」を巡らせていますね。

地域と一緒に作る、新しい価値


―――実際に団体を立ち上げてみて、どうでしたか?


農家さんの所得を上げたいと思って始めた会社でしたけど、最初はなかなか信頼関係がなくて、農産物を出してくれる方は少なかったんです。逆の立場なら「外から来た人がいいことを言っているけど、本当に大丈夫なの?」って思いますよね(笑)

でも少しずつ実績を積み重ねていって、3年後くらいには売り上げも当初の2~3倍になりました。その頃から「うちの農産物も扱ってほしい」と声をかけてもらえるようになって、今では嶺北の野菜のほとんどを取り扱えるようになりました。

とはいえ、農家さん自体は高齢化で確実に減ってきています。だからこそ、もっといろんな人にこの地域に来てもらえたらなと思います。僕が移住した10年前に比べてもITは飛躍的に進化しましたし、スキルとの相性はあるけれど、来てみればきっと「求められること」「自分にできること」が見つかるはずです。

顔が見える距離感で人と関わりながら仕事ができるのは、都会ではなかなか味わえないこと。移住してからの10年は本当に充実していましたし、これからの10年も、この地域がもっと盛り上がっていくように、自分の立ち位置で力を尽くしたいと思っています。


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