国道からちょっと入ると、鳥の声と川の音に包まれる家がある。2023年、鹿児島県種子島からこの土佐町にやってきたのは、武 琢磨さん・美香さんご夫婦です。
自宅でサロンを営み、染め物をし、酒蔵で働き、地域の集まりにも顔を出しながら、二人らしいペースで暮らしを整えています。「無理のない、ちょうどいい生活」を大切にするお二人に、離島から山あいへの移住のきっかけと、今の暮らしについて伺いました。

武 琢磨(たけ たくま)さん・武 美香(たけ みか)さん / 2023年7月 土佐町
離島から、山あいの土佐町へ
――種子島から土佐町へ移住されたきっかけを教えてください。
僕はもともと隣の屋久島に7〜8年ほど住んでいて、そのあと仕事の縁で種子島に移って、美香と出会って結婚したんです。美香は種子島に10年住んでいたので、二人合わせるとかなり長く離島にいました。 移住のきっかけは3つあって。まず、両親が神戸に住んでいるんですけど、離島にいると会いたい時に会えないんですよね。元気なうちに、もう少しコミュニケーションを取りたいなと思ったこと。2つ目は、僕らは種子島で自宅サロンをやっていたので、外の世界でも試してみたかったこと。そして3つ目は、離島の交通機関の制限。天気で船や飛行機が欠航すると、行きたい時に行けないんです。それが少しずつしんどくなってきていました。
拠点を探すために、いろんな地域を回ったんです。神戸を軸にして、和歌山を車で見に行ったり、四国を2週間かけてぐるっと旅したり。でも、なかなかピンとくる場所が見つからなくて。そんなときに、私のセラピスト仲間で、高知在住のシンガーソングライター・矢野絢子さんに「嶺北が合うんじゃない?」って教えてもらったんです。 それからいったん種子島に戻って準備をして、香南市のお試し住宅で3ヶ月暮らしながら家を探したんですけど、なかなか決まらなくて。最後の最後で矢野さんの言葉を思い出して、「田舎暮らしネットワーク」に問い合わせたんです。そこでスタッフの佐藤恵さんに、私たちがどんな暮らしをしたいかヒアリングしていただきました。田舎で、隣家と密接していない環境で、火を焚いても大丈夫で、自宅でサロンができる場所。理想は、家からみる景色に、人工物がなるべくない場所でした。そうしたら、「それなら良い場所があるわよ!」って、一番最初に案内してくれたのがこの家だったんです。 その頃、夫は期日が迫るプレッシャーで胃が痛くなっていて、ちょっと当てにならない状態で(笑)。私が「ここに決めるよ」って決めて、2023年の7月に土佐町に引っ越してきました。
「海の人」と「山の人」が出会って
――離島から山あいへ、暮らしの違いはどう感じましたか?
私は北海道出身で、看護師をしていた頃にサーフィンにハマって、綺麗な海でサーフィンがしたくて種子島に移住したんです。だから海が大好きなので、嶺北のことを薦められたときは正直「山かー」って迷いもありました。海に行きたくなったら結構遠いなとか、最初は思っていましたね。
僕は屋久島で山仕事をずっとしていたので、どちらかというと山の方が落ち着くタイプなんです。山のほうが自分とつながりやすいというか、エネルギーを感じられる。彼女は「海の人」で、僕は「山の人」なんですけど、結婚してから海以外のエッセンスが彼女の中に入っていって、山の中でも大丈夫になったんですよね。
そう。あんなにサーフィンが生活だったのに、こっちに来てからは年に一回行けたらいいくらい。あとから気づいたんですけど、私、海に依存していたんですよね。「行かないと自分らしくいられない」って思い込んでいた。夫と暮らすうちに、自分で自分を満たせるようになったんです。
種子島は平らな島で川もほとんどなくて、こことは全然違うんですよ。植物の生態も、聞こえる音も違う。でも、根っこでは全部つながっているから、山であろうと海であろうと、僕らはどこに行っても一緒なんですよね。ここを選んだので、ここで自分たちがやりたいことを楽しくやれたらいいなと思ってやっています。
「ちょうどいい」を、二人で開拓する
――今の暮らしのなかで、大事にされていることを教えてください。
私たちがサロンをやるうえで、この家の環境はすごく大事なんです。国道からちょっと入っただけで、こんなに静かになって、でも街中からは遠くない。窓を開けると鳥の声が聞こえて、お客さまから「これは音楽?外の鳥の声?」って聞かれるくらいで(笑)。
染め物も外でやるので、こういう環境の方がインスピレーションを得やすいんです。空を見て「こんな感じにしよう」、山を見て「この色を使おう」って自然に出てくる。僕らのやっていることに、この環境は本当に合っています。
引っ越してきた最初の年は、私が土佐町の土佐酒造さんでアルバイトを始めたんです。もともと日本酒が大好きで、ご近所を案内してもらったときに酒蔵の存在を知って、飲みに行ったら美味しくて。「せっかく仕事するなら、興味のある分野にチャレンジしたい」って、飛び込んでみました。夫も今、杜氏の仕事で通っています。すごく働きやすい環境で、サロンの予約が入ったら「休んでいいよ」って言ってもらえるし、時間の調整がしやすいんです。
家もまだ開拓中で、少しずつ整えているところです。五右衛門風呂も、種子島から持ってきていたのが壊れちゃって、近所の方が畑で使わなくなったものを譲ってくれたり(笑)。田舎ならではのやりとりですね。 暮らしについては、正直、決まった理想像はないんですよ。自分自身の成長も、地域との関係性も、まだこれからだと思っているので。ただ、一つにフォーカスしないで、「今の自分たちにちょうどいい」パーセンテージを大事にしています。きつすぎてもしんどいし、無理しすぎても疲れるだけ。疲れたら僕たちの仕事は何も生み出せなくなるので、そこは大事にしていますね。
地域とつながりながら、暮らしていく
――土佐町に来て、地域の人との関わりや、これからのことを教えてください。
集落の月1回の集まりや、定期的な草刈りには、仕事がない限り必ず二人で出るようにしています。そういうタイミングでしか地域の方には会えないので、そこに顔を出すことで「新しく来た人だね」って知ってもらえるし、会話も生まれるんです。
あとは、草刈りのあとの「打ち上げ」ですね(笑)。南の方って、「一杯飲もうや」から仲良くなっていくスタイルが多いんですよ。僕らは飲み方が早い方なので、そこは思う存分利用させてもらっています。ちょっとカルチャーショックだったのは、こっちに来ると「新しく来た人の家に押しかけて飲む」というノリではなくて。グルーヴが違うんですよね。でも、僕らは僕らのやり方で溶け込んでいけばいいかなって思っています。
お向かいのおばあちゃんとおじいちゃんとは、来たばかりの時から本当に仲良くしてもらっていて。「野菜たくさんもらったからあげるよ」って持ってきてくれたり、こちらもお返しに何かを持っていったり。昔って、貨幣ができる前は物々交換だったじゃないですか。それが離島でも、この土佐町でも、根っこの部分で今も続いているんですよね。そこは、ホッとするというか。
離島時代と大きく変わったのは、横のつながりの広がり方かもしれません。船や飛行機の制限がなくなったので、車を出せば大分でも神戸でも行ける。他の地域のイベントに呼んでもらって、そこでまた新しい出会いがあって、というのがずっと連鎖しているんです。動く渦の中心が、いい方向に変わった感覚があります。 発展しながら、無理のない生活を。私たちなりのペースで、これからもこの土佐町でちょうどいい暮らしを続けていきたいと思っています。





