広告の仕事から、クラフトジンジャーエール専門店の店主へ。そして、東京から土佐町へ。生姜の産地を辿るうちに、土佐町・松ヶ丘地区にたどり着いた内藤雅之さん。
地域おこし協力隊として活動を始めて一年、いま松ヶ丘で何を見て、何を届けようとしているのか。「応援する文化を、ここから」と語る内藤さんに、お話を伺いました。

内藤 雅之(ないとう まさゆき)さん/ 2025年 土佐町
ジンジャーエールから辿りついた、森と水のまち・土佐町
―――東京から土佐町へ。移住したのはどんな経緯があったんですか?
もともと東京で広告の仕事をしていたんですけど、コロナ禍をきっかけに、自分を見直す機会が訪れたんです。当時、東京に住んでいましたが、街の飲食店が休業していくのをみたり、多くの医療従事者の方たちがあたたかいごはんも食べられずに、懸命に頑張ってくださっている姿を目の当たりにして、何か自分に出来ることはないかとずっと考えていたんですよね。自分の無力さを痛感し「生きることに直結する仕事をしたい」と動いたのが、そもそもの始まりでした。
それから試行錯誤をしていくなかで、生姜の可能性に惹かれたんです。生姜の持つ素材のチカラは、身体だけじゃなく、心までほっとさせてくれるように感じます。生姜を使って、頑張っている人たちを応援したい――その想いで、クラフトジンジャーエール専門店『エール』を東京・神楽坂に開きました。高知県産の生姜を100%使ったお店で、店名の『エール』には「応援する」という、想いを込めました。
お店をやっているうちに、今度は生姜生産量日本一である高知県のことを深く知りたくなって。一つのことを始めると、もっと先を知りたくなる。それで高知のイベントや移住フェアに通うようになったんです。そこで、土佐町に2024年に「丘のテーブル」という加工場ができたという話を聞き、ジンジャーエールもつくることができるよと言ってもらえたんです。このご縁を大切にしたいなと思ったのと、より本格的に取り組む為に移住を決めました。
しばらくは神楽坂のお店との両立も考えたんですけど、やっぱりそれは難しくて。こっちに軸足を置くからこそ、地域に根付いた商品を届けられると感じたので、神楽坂のお店は一旦閉めることにしました。
いま、土佐町でやっていること
―――いまは土佐町役場の地域おこし協力隊としても活動されているそうですね。具体的にはどんなお仕事をされているんですか?
地域おこし協力隊として、地域の会社である合同会社アグリドマーニで、地域の産品を商品として届ける役割を担っています。土佐町には、お米やお芋、土佐あかうしなど魅力的な産品があり、生産者や地域の皆さんと一緒に、商品づくりや販路開拓に取り組んでいます。現在は、松ヶ丘の方々が開発した「今宵の土佐あかうし」の販売や、松ヶ丘のお米を活用した味噌づくり、地域のお芋を使った新商品の開発などを進めています。
特に「今宵の土佐あかうし」の販売では、営業としての魅力も感じるようになりました。棚田を守り続けてきた地域の人たちの想いのある商品ですし、作り手さんの想いも込もっている。それを自分の言葉で伝えて、喜んでくれる人がいる。数字もついてくる。それが面白くなってきて、いまでは働き甲斐になっています。
このあたりは、農業を生業にしている方が多くて、みんなが地域の役割もいくつか掛け持ちしているんです。アグリドマーニの方々も、農業などの本業を他に持っていたりして。都心のように一つの仕事に集中する働き方とは違い、それぞれが仕事や暮らしを抱えながら地域活動にも関わっています。ひとりで何役もこなしながら、支え合うことで地域の経済やコミュニティが回っているんだなと、実感しました。
地域には魅力的な産品や人がいるのに、それを広げていくための時間や人手は限られています。時間がかかることもあるし、もっとできることがあるのではないかと思うこともある。それでも、地域の皆さんに支えていただきながら、少しずつ私自身も前に進んでいます。仕事の進め方を教えてくださる方、道の駅などの取引先を一緒に回ってくださる方、農作物や地域の暮らしを教えてくださる方など、多くの方に助けていただいています。地域には人手や時間の制約もありますが、手を差し伸べてくれる方がいることは、この地域の魅力の一つだと感じています。
応援する文化を、ここから
――地域おこし協力隊では、松ヶ丘地区を広めていくことも大きなミッションだそうですね。具体的にどんな活動をされていますか?
土佐町の松ヶ丘地区は、お米やお芋などの農作物が、とにかくおいしいんですよ。松ヶ丘という地域のことも、ここで作られている商品も、もっと広めることができると思うんですよね。地域の産品を加工し、地域の内外へ届ける上で単に商品を販売するだけではなく、その背景にある松ヶ丘という土地や文化を知ってもらうことにも意味があると思っています。商品紹介の際には、棚田の写真を見ていただくこともあります。また、実際に土佐町へお越しいただいた方には棚田のビュースポットをご案内することもあります。
加工品も人付き合いも似ているところがあるように感じています。知ってもらうことが大切で、その先に関係がうまれていくこともある。私自身も時間をかけて地域と関わる中で、人の温かさや地域の支え合いを感じるようになりました。だから、外にも内にも伝えられる余地がたくさんあるなと感じていて。出来ることはまだまだたくさんある段階です。
――クラフトジンジャーエール専門店『エール』としては、具体的にどんな活動をされていますか?
私自身も松ヶ丘にある加工場で、ジンジャーエールづくりを続けています。『エール』という店名にも込めましたが、私が大事にしているのは「応援する」というコンセプト。味はもちろん、気持ちの部分でエールを届けたい。その想いを、カタチにして届けていきたいと思っているんです。
たとえば今年の1月、土佐町の成人式にクラフトジンジャーエールを入れた『二十歳袋』というものをお届けしました。これは七五三の千歳飴をイメージして作ったものです。千歳飴って「いくつになっても健康でいてね」という、支えてきた人たちの想いが込められているものですよね。二十歳になるまでの道のりには、本人だけじゃなく、ご家族はもちろん、地域の方々が支えてきたものがある。そういう人の想いにもスポットライトを当てたかったんです。新たな人生の節目に、エールを贈るような日にできたらいいなって。教育委員会や役場の方にも協力していただいて、無事それを形にすることができました。応援が循環する文化を、ジンジャーエールを通して広めていく――それが私自身、これからの『エール』としての目標です。
まず一歩を、踏み出してみること
――東京から土佐町に来て、変わったことや、これから目指していることを教えてください。
暮らしは本当に変わりましたね。東京にいたときは夜中まで働いて、睡眠時間は4、5時間の生活でしたから。それが、こっちに来てからは夜12時には眠くなって、朝6時には鳥のさえずりや太陽の光で自然と目が覚める。暮らしのリズムが整っていくのを感じています。
自然は豊かだからこそ、厳しさももちろんあります。寒暖差が大きいからお米や果実がおいしくとれるのですが、実際に住んでみると、自然の厳しさも感じます。移住した春から、湯たんぽを使った暮らしが始まりましたよ(笑)。
人との関係も大きく変わりました。東京では隣の人を知らないのが普通でしたけど、こっちでは挨拶を交わしたり、農作物をお裾分けしてもらったり、地域のお祭りに呼んでもらえたり。「ゆずが好きなんです」って言ったら、たくさんいただいたり(笑)。何気ない一言も覚えていて、それにちゃんと応えてくれる人たちがいるんですよね。
特に印象に残っている出来事があります。移住して間もない頃、挨拶をした農家さんがいたのですが、その方が半年以上経ってから、手づくりのジンジャーエールを持ってきてくださったんです。私が何気なく話をしたジンジャーエールのことを覚えていてくださって、作られたものをわざわざ届けてくれたんです。その時は嬉しかったですね。地域の人たちに支えてもらっていることを改めて感じましたし、今度は私が、何かできることをしたいと考えるきっかけにもなりました。
本気で動いていれば、人と人は自然に繋がっていく――高知にきて、そのスピードに驚くこともあります。でも一方で、地域に来てからは、動かないと何も始まらないということもリアルに実感しています。地域の人たちが温かいからといって、待っていたら何かしてもらえるわけじゃない。「こういうことをやりたいです」って、自分の軸を持って一歩踏み出すからこそ、話を聞いてもらえる。受け止めてもらえる。そんなふうに感じています。
地域おこし協力隊としても、アグリドマーニの活動でも、エールの活動でも、大切にしている想いがあります。それは、寄り添うこと。寄り添うというのは、ただ優しくすることではありません。相手の話を聞き、相手のペースを尊重しながら、ときには結果が出るまで信じて関わり続けること。そこには覚悟も力も必要だと思っています。すぐに答えが出ないこともありますし、自分の思い通りにならないこともあります。それでも、その人や地域の可能性を信じて関わり続ける。
そんな関わり方が、私にとっての応援なのだと思います。






