朝、家の前に広がる景色を見て「今日もきれいだな」と思える。
そんな日常が、大川村での暮らしにはあります。
夫婦で移住を決めたきっかけ、住まい探しの現実、地域との距離感。
決して便利ではないけれど、自然と人との関わりのなかで、暮らしが少しずつ形になっていきました。
実際に住んでみて分かったこと、続けられている理由を、奥川さん夫妻に
等身大の言葉で語ってもらいました。

奥川 繁明(しげあき)さん 優子(ゆうこ)さん夫婦 / 2024年 大川村移住
高知が、ずっと頭の片隅にあった
―――ご夫婦で移住されたのは、いつ頃で、どんなきっかけだったんですか?
繁明さん
正式には令和6年の4月30日にこの家に着いて、入村の手続きをしたのが5月1日ですね。
もともと高知県が好きで、何度も来てたんです。それが一番大きいかな。
30年くらい前に、仕事の社員旅行で高知に来たことがあって、そのときはもうとにかく酒、酒、酒の記憶(笑)。フィリピンパブ行ったりもしたんですけど、当時の話をすると、なんでそんなこと知ってんの?って言われるくらいで。その記憶も含めて、高知っていう場所が気に入ってたんですよね。
優子さん
私は7年前が初高知です。柏島でダイビングしたくて来ました。
正直、海は沖縄のほうが面白い海かなって思ったけど(笑)でも柏島って猫がいっぱいいて。わたしは猫好きなので、猫にまみれてすごく楽しかったです。
繁明さん
奥さんと結婚して、家業の土木系の会社を継いで働いていたんですけど、ちょうど3年くらいしてコロナ渦に。工事が中止になったり、コロナの影響でいろいろあって。元々会社にあった借金の返済もだいたい終わってたし、祖父が亡くなったタイミングとかもあって、一区切りついたよね、もう辞めてもいいよね、ってなったんですよね。
優子さん
もう二人とも疲れちゃって。「ちょっと生活変えようか」ってなったタイミングでしたね。
二人で“ここなら暮らせる”を探した
―――そこから高知、それも大川村を選んだ決め手は、どんなところでしたか?
繁明さん
生活変えるなら、高知に行こうってなって、東京の交通会館にある移住相談窓口に行ったんです。
そしたらちょうど2週間後に移住フェアがあるって言われて、これは縁だなって。そこでいろんな市町村の話を聞いた中で、気になったのが三原村と大川村でした。
優子さん
ポツンと一軒家に憧れてたんですよね。古い古民家みたいな。
繁明さん
囲炉裏があって、縁側があって、梁が太いのがあって、とかね。あと元々飼っている猫が2匹いるので、猫も飼える家。
理想はいろいろあったんですが、なかなか物件は決まらなかったんです。それで最終的に今の家に出会いました。
ここ、7年くらい空き家になってて、ゴミとカビだらけだったんですよ。でも猫が住めるのがここしかなくて。幸い、14畳の和室だけは比較的綺麗だったので、使えたら住めるなって言って、住みながら直すことにしました。
カビが生えてるところ全部剥がして、張り替えて。断熱材も入ってなかったから全部入れて、壁も天井も全部削って、漆喰塗って。
優子さん
白い防護服みたいなの着て、二人でマスクして、ひたすら削って塗って。もちろんそんな経験はしたことなかったので、初めてのことばっかりでしたね。
静かだけど、毎日が満ちている
―――実際に暮らしてみて、日々の生活はどう変わりましたか?
繁明さん
ここは大川村の南野山っていう地区なんですけど、住んでるのはうち入れて5人です。92歳、84歳、84歳。それと僕らが42と58なので、だいぶ平均年齢が下がりましたね。
おとなりまでも距離があるので、最初は1年くらい、ほぼ来客もなかったし、家から降りて行かないと誰にも合わない環境でした。
でも、その距離感が、彼女にも合ってたんですよね。彼女は家の中が好きだから。
優子さん
そうですね。田舎の人は距離が近いって聞いていた感じは全く思わなかったですね。もともと田舎の人に合う気質なんじゃないかなって思います。生まれ住んでましたが、東京のほうが合わなかったですね。疲れるし。
繁明さん
近所のおじいたちが移住してきたときから本当によくしてくれて。だから、その分労働力ってことで、畑手伝ったり、木切ったり、いろんなことを手伝っています。
丸太一つ切るのも、チェーンソーじゃなくて昔からある長いノコギリを使って。例えばチェーンソーであったりとか巻き割り機とか、新しい道具を買うのは簡単なんですよ。だけどやっぱりおじいたちが使ってきたものを紡いでいくっていうのかな。使っていた気持ちと道具を、錆びらせていくんじゃなくて、それを僕たちが紡いで、また使っていくっていうのが一番やりたいなと。
あと、罠の仕掛け方とか、イノシシのさばき方とかも教えてもらいましたね。
80キロもするイノシシを倒した後、自分たちで毛を剥いで、解体するようになってから、「いただきます」の意味が変わりました。
東京にいた頃は、“いただきます”って、ただの挨拶みたいな感覚だったんですけど、
ここで自分たちで解体するようになってから、その重みが全然ちがうなって思うようになりましたよ。おじいたちは、知恵と経験を僕らに提供してくれてるんですよね。
優子さん
四季折々の野草が出てきてくれるのも嬉しいです。この季節はこれが咲いて、枯れて、次はあれが咲いてみたいな。自然に湧いてくる花とかってすごく綺麗なんです。季節感が感じられてすごく良いですよ。
繁明さん
ほんとここの暮らしが楽しくてしょうがないんです。だって毎日朝家の前の景色を見て、毎日美しいって思えるし、毎日見惚れられる。最高ですよ。
楽しみながら挑戦し続ける暮らし
―――移住して大変だったこと、これからやってみたいことは?
繁明さん
大変だったのは水ですね。
ここらへんは標高も高く雪も結構降るので、汲み取りが来なかったり、水が凍ったり、水圧が足りなくてお湯が出なかったりとか。でも、それ以外は正直、なんもないかな。
優子さん
水関係だけだよね。
繁明さん
晴耕雨読じゃないけど、遊んでのんびり、雨の日は本読んで。いやけどやっぱり雨読はないな(笑)まだできることは少ないけど、せっかく住んだんだったら、袖擦り合うのもなにかのご縁っていうことでお手伝いをしたりとか、外に出てそういうことをしていきたい。
東京にいたときに「会社辞めて何したいの?」って聞かれたから「スーパーでレジやりたい」って言ってたんです。じゃあ今、結いの里でそれはやってるから、夢叶ったじゃん!って(笑)
なので、これからやりたいのは馬のことですかね。
家の裏に広大な土地があるので、馬場を作って、朝起きて「おはよう」って言って馬に乗れる環境を作りたいなと思っています。
僕が元々馬が好きで、彼女ともちょこちょこ馬に乗りに行ってたんだけど、ある人の本を読んで、馬を取り巻く現実って結構厳しいなって知って。今飼ってる猫たちも保護した子たちなので、そういう意味も含めて、馬場を作って馬とも暮らしたいなと思っています。
それが仕事としてどうなるかはまだ分からないけど、せっかくここに住んだんだから、できることを手伝って、人と繋がってっていけたらいいな、発信していけたらいいなって思ってます。
優子さん
乞うご期待、ですね(笑)





