「必要なところに、僕が作りにいく」――そう語るのは、東京から土佐町へ移住して6年の上江 教貴さん。地域おこし協力隊としてさめうら荘レイクサイドホテル・レストランの料理人を4年間務めたのち、いまはキッチンカーで移動居酒屋を営みながら、地域のイベントや宴の場に料理を届けています。
料理人歴30年、そして大病を経て。上江さんが辿り着いた「自分のペース」の仕事のかたちについて、お話を伺いました。

上江 教貴(かみえ のりたか)さん / 2020年 土佐町
家族との縁で、土佐町へ
―――東京から土佐町への移住のきっかけを教えてください。
きっかけは、妻なんです。当時、僕は東京駅直結のお店で働いていて、家は八丁堀。夜中まで働き、最終で家に帰ってくる生活をしていました。妻がある日、子どもを連れて東京の有楽町で開かれていた子ども向けイベントに遊びに行ったんです。そこで、嶺北の移住担当の方とたまたま知り合って、話が弾んで、資料を持って帰ってきたんですよ。
僕が仕事から帰ってきたら、いつもならとっくに寝ている妻が起きていて。「ちょっと話があるんやけど」って言われ、ドキッとしました(笑)。「悪いことしてないし、なんやろ」と思って聞いたら、この移住の話で。
僕は高知には、若い頃に高校の同級生の田舎について一度行ったきりで、正直、全然分からなかった。それほど興味があるなら、実際に行ってみようかということで、休みを取って3日間、家族で土佐町に来ました。保育園や小学校を案内してもらって、自然や施設も見せてもらって。ちょうど上の子が小学校に上がるタイミングだったこともあって、「縁があったのかな」と。
移住を決めたのは、その年の12月。会社を辞めるのに数ヶ月かかるので、その間に年が明けて、面接を受けに来て、3月に引っ越して、4月から新生活スタート、という感じでした。ちょうどコロナで横浜の船のニュースが出始めた頃で、「引っ越しできるかな」ってヒヤヒヤしながらでした。ですが、他の場所と比較することもなく、「ここだけ」と決めていましたね。

シティボーイ、土佐町で料理人として再スタート
―――土佐町での暮らしと仕事は、どんなふうに始まったんですか?
もう衝撃でしたよ。兵庫の尼崎で生まれて、神戸、京都、大阪の南、東京の渋谷、神田、銀座、豊洲、新橋、東京駅……ずっと都会でしか暮らしたことがなかったんです。それがこっちに来たら、お風呂を灯油で沸かすとか、使ったことないプロパンとか、母屋から離れたトイレとか、生まれて初めての設備ばかりで。それに、虫が耳元でブンって飛んできたら、いまだに「え!?」ってなるんですよ(笑)。妻はもともとこういう環境で育っているので、全く違和感がないみたいで、「56歳でシティボーイだね」って笑われてます。
仕事は、地域おこし協力隊として、さめうら荘レイクサイドホテル・レストランのキッチンに入りました。もともと20年以上、大阪や東京で串カツ、焼肉、居酒屋、お好み焼き・鉄板焼きなどの飲食業をやってきたので、その経験を活かせる場所を用意してもらった形です。3年間の任期がコロナ特例で延びて、結局4年勤めることになりました。自然豊かな土佐町、嶺北の食材と向き合う日々でしたね。
勉強会で生まれた構想、そして自分のペースへ
――今のキッチンカーでのお仕事は、どんな経緯で始まったんですか?
移住して3年目くらいに、地域の勉強会に参加したんです。買い物が困難な地区のお店をどう持続可能な形で残していけるかという勉強会で、東京から来られたトヨタやIT系の方々と一緒に、いろんな意見を出し合いました。
そのなかで出てきた話が、「昔は家に人を呼んで食事を振る舞う文化があったけど、今は新しいお嫁さんや2代目、3代目になってきて、なかなか難しい状況になってきた」と。だったら、必要なときに必要な場所に僕が行って作れば、ロスも少ないし、お店を構えて「お客さんが来なかったらどうしよう」というリスクもない。人口が減っていく中で、無理をせずに続けられるスタイルかもしれない、と思ったんです。
ちょうど土佐FBC(食のクリエーター育成プログラム)にも通っていた時期で、そこでこの構想を発表したら、先生からも「いい考えですね」と言っていただいて。惣菜免許や移動調理の資格を取って、キッチンカーも買って、協力隊卒業と同時に4月から動き出そうと準備していました。
ところが、卒業の1週間前、病気で倒れてしまったんです。心臓の大きな血管が半分ほど裂けていて、緊急手術をすることになって。それが今から2年半前のことです。それから2回、血管を入れ替える大きな手術をしたりで、いまだに日によっては動けないこともあります。
しばらく家で療養して、数ヶ月後夏祭りで焼きそばや串カツを焼くところから、少しずつ料理人として再スタートしました。同じ協力隊で白拍子舞で活動をされていた荒木さんという方が、「舞のあとに和食を食べていただくのはどうか」と声をかけてくれたりもして。それが広がって、去年はエストニアからのゲストにも和食を提供させていただきました。企画的にも好評だったようで、今年もまた行うことになりそうです。
まだまだ一気には動けないので、仕事量は東京にいた頃の半分以下ですね。フルに立ちっぱなしで動くというのはもう無理で、3時間働くとフラフラになる。だからこそ、キッチンカーで必要なところに行って作る、というスタイルが今の自分に合っているのかなと思っています。


自分のペースで、この土地の恵みと向き合う
――土佐町に暮らして感じる、この土地の魅力を教えてください。
やっぱり、水がきれいです。昨日も汗見川に行ってきたんですけど、ライフジャケットで川に入ると、まるで宙に浮いているみたいに見えるくらい水が透き通っていて。今ちょうど、東京から知人が遊びに来ていて、その子と自分の子どもたちで川遊びしていたんですけど、改めて「本当にすごい場所やな」と思いましたね。
料理の面でも、東京にいた頃は年がら年中、いろんな食材が並んでいるイメージだったんですけど、こっちに来ると、春夏秋冬でお店に並ぶものがきちんと変わる。旬がはっきりある。それに、和食のおもてなしに使う笹や紅葉、青葉、ヒノキ、秋はイチョウ、そういうものがちょっと山に入ったらいくらでもある。見ているだけで楽しいんですよ、おもてなしの器や飾りを考えるのが。
もうひとつ大きな変化は、家族と過ごす時間が圧倒的に増えたことです。東京で働いていた頃は、土日なんて絶対に一緒じゃなかった。ほぼ仕事でしたから。それが今は、ずっと家で一緒にいて、ご飯もほぼ僕が作っているので、主夫みたいなものですね。あ、洗濯はだけは難しくて勘弁してもらってますけど(笑)
身体のこともあるので、以前のようにはできませんが、儲けないと生活はできないですよね。でも、無理して続けられなくなったら意味がない。そのバランスを取りながら、自分のペースで、必要なところに行って作っていきたい。この土地の食材と自然を活かして、少しずつ続けていきたいと思っています。


